mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

11月12日

 「みやぎ教育のつどい」が終わった。今年は2日目の「能力・発達と教育」分科会だけに参加した。
 この分科会には毎年参加しているのだが、人の出入りが他の分科会よりもなぜか激しい。報告した人はいつのまにか姿を消す。と思うと、新しい人が姿を見せ報告をする。分科会責任者のSさんは困っているだろうといつも思う。
 私は大事な分科会だと思う。それは、なんでも入る入れ物だからではない。何でも入れて、それらの実践を一つにして、まさに分科会名の「能力・発達と教育」を考え合う分科会ゆえに貴重な分科会なのだと私は思っている。
 しかし、出入りが激しいと、報告を一つにして考えることはできない。となれば、分科会の存在理由はきわめて薄くなる。
 分科会に参加しながら、かつて、現代美術社の太田弘の誘いで、生活科の教科書作りに参加したことを思い出す。退職する10年ぐらい前だった。
 太田弘は実務に入る前に、編集委員の一人ひとりに、「なぜあなたは綴り方に力をいれているか・・・」「なぜあなたは理科に力を入れているか・・・」と次々に問い詰めていった。
 いや、最初だけではなかった。実際の作業に入ってからも、「ぜひ米作りのページを入れたい」と言えば、「なぜ米作りのページが必要なの」とからみ、「それを入れることにどんな意味があるのか」と提案者を徹底的に追い込むのだった。
 太田は、教科書が出来上がった時に、次のようなことを書いた。
毎日/ランドセルを背負って通う/学校で/タンポポを学ぶのは/タンポポにくわしくなるためではない。/タンポポを/手にとることで/生きものの、自然の、/理(ことわり)を感じとる――/ヒトが人となるために。/人としての生き方を/考えつづけ、/悩みつづけるために。/子どもの/小さな宝箱に/そっとしまわれるような、/石ころを、/ガラスのかけらを、/草の実を、/落ち葉の一枚を、/生活科の授業のたびに/手渡したい。
 「生活科の教科書でなくてもいいのだ。戦後、初めて新しい教科が誕生したから、この教科書をつくりたいのだ」と言ったことがある太田に、このような考えがあったのだった。
 私は、この仕事に参加することでやっと教師は何を大事にすべきかをこれまでになく考えるようになった。でもその時私に残っている時間は少なかった。
 この分科会は、太田が願ったようなことを考える場と私は堅く思っている。