読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

4月18日

 とうに姿を消した現代美術社の教科書「子どもの美術」への強い関心をもつ京都の大学生Sさんの刺激を受けて、また、時間を見つけては「子どもの美術」「少年の美術」「美術・その精神と表現」をめくるようになった。

 「その精神と表現」の3に、笹戸千津子さんの「着衣の立像の制作日誌」が載っているが、3・11後ゆえか、読んでいて、彫刻の世界を超えていろんな思いがめぐった。

 7月10日

   モデルさんには、彼女の好きなポーズをいろいろとしてもらい、デッサンを始める。デッサンをしながら気がついたことは、それまで、ただ美しいということだけに気をとられていた“しわ”が、どんなに細かいしわであっても、現象の裏には、それが生ずる法則があるということでした。

   こんなことですら、デッサンをしてみないことには、ほんとうに自分でわからない――。いつも仕事をしていて感ずる思いを、今回も深く感じました。

 7月11日

   自然というのは、けっして自分の好みに都合よくあてはまってはくれません。“しわ”の持つ法則を、よく頭の中にたたき込むために、この日も、モデルさんには、自由にいろいろなポーズをしてもらい、デッサンをつづけました。

 

 日記を読みながら、着衣の“しわ”を見つめて考える笹戸さんの心にしぜん頭が下がった。笹戸さんは決して自分の意に合うように“しわ”を動かしてはいない。モデルの自由な動きのなかから“しわ”のもつ法則を頭の中に入れている。笹戸さんは日誌をこんなふうに使われてははなはだ迷惑と思うが、私たちはなんて横着なことだろうと思う。自然の法則に合わせて他と一緒に生きていこうなどという気はさらさらもっていない。

 巨大な津波がくれば、その高さを超える防潮堤をつくろうなどとすぐ考える。原発惨事がつづくかたわらで、他の原発の安全が確認されれば再稼働とすぐ動く。こんな無神経で横着な人間に未来はあるとだれが言えるだろう。

 優れた彫刻家でなくても、(着衣の“しわ”にも自然の法則があるのだ)とものを見つめ考えられる神経をみんなで持ち合せられたら・・・と思う。