mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

衆議院、解散と選挙に想う

 春さんが10月4日付diaryに、国民そっちのけ、党利党略の衆議院解散と選挙のドタバタについて述べているが、政治家ならぬ政治屋の体全体から、俗物特有の脂ぎった体臭とエネルギーが、テレビのあちらからこちら側に溢れ出ている。政治はもううんざりだと言いたいが、こんなバカらしい呆れ返る今の日本の政治でも、それを見放して諦めてしまったら、喜ぶのは当の政治屋たちだ。北朝鮮の独裁は、きっと多くの北朝鮮国民のみならず世界の国にとっても災難であり迷惑なことだが、だからと言って私利私欲しか頭にないような政治屋の中から投票するしかない民主主義国家の国民もまた同様に災難である。どちらの国もリーダーには恵まれていないようだ。

 さて、今回のこの大義なきドタバタ解散からの経過を見ると安倍内閣・政府与党の破廉恥さは言うにおよばずだが、民進党の前原代表は、その不甲斐ない安倍仕事人内閣が仕事をせぬまま終えたのを横目で見ながら、自らもそれをまねてか仕事をせずに代表を降り? 希望の党というどこに希望があるのかまだよく見えない政党に安倍一強政治を終わらせるのだと身売りしてしまった。

 党代表になって日が浅いとはいえ、前原さんは曲がりなりにも民進党という大きな船を預かる船長ではないか。その船長が、船が傾いて転覆しそうだと、われ先に船を降りてしまった。乗組員の無事を確認し、最後に降りるのが船長なのではないか。韓国のセウォル号転覆事故で、船長が乗客そっちのけでわれ先にと下船し、韓国社会で痛烈な批判を浴びたことを思い出す。乗員・乗客にとってはたまったものではない。こういう船長は御免被りたい。 

 ところで、今からちょうど60年前に吉野弘さんが自費出版した処女詩集『消息』のなかに「記録」という次のような詩がある。

   記 録

  首切り案の出た当日。事務所では いつに変わらぬ談笑が声高に咲いていた。 

  さりげない その無反応を僕はひそかに あやしんだが 実はその必要もなかったのだ。 

 翌朝 出勤はぐんと早まり 僕は遅刻者のように捺印した。 

  ストは挫折した。小の虫は首刎ねられ 残った者は見通しの確かさを口にした。 

 野辺で 牛の密殺されるのを見た。尺余のメスが心臓を突き 鉄槌が脳天を割ると 牛は敢えなく膝を折った。素早く腹が裂かれ 鮮血がたっぷり 若草を浸たしたとき 牛の尻の穴から先を争って逃げ出す無数の寄生虫を目撃した。 

  生き残ったつもりでいた。 

 詩は、企業による首切り(合理化)とそれに対する組合活動の挫折を描いたものだが、なぜか私には衆議院解散後の各党の離合集散とその中での政治家の姿が重なって見える。前原さんも、きっと生き残ったつもりの一人だろう。だが、ここ最近の前原さんの目はどこか虚ろだ。希望を見失ってしまったのかもしれない。もちろん前原さんに限った話ではない。多くの政治家も同罪だ。

 希望は誰かから与えてもらうものではなく、自ら心のうちに育むものではないだろうか。( キヨ )