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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

12月18日 重い言葉「日本に抵抗の文化ない」

 このごろテレビを見る時間が長くなった。韓国の大統領問題が何日もつづき、なんだかよくわからないうちにカジノ法案が国会を通過し、つづいて日ロ首脳会談関係に番組はうつる。日ロ会談はだれがどれだけのことを知っているのかわからないが、なんかいいことがありそうに騒ぐが、何も知らない私は、世界の情勢から言って、あのプーチンさんが自分たちに利のないところにわざわざ足を運ぶだろうか、とテレビを冷ややかに眺める。複雑な世界の関係のなかで、安倍首相が相手をファーストネームで呼ぶぐらいで何かが動くと本気で思っていたのだろうか。この後の他国との関係は考えていたのだろうか、無知の私もちょっと心配になる。とこうしているうちに、このカイダンもすぐ過去になる。

 この間の私の最大の収穫(?)は、16日の朝日新聞の学芸欄に載った去年のノーベル賞作家・ベラルーシのアレクシエービッチさんのインタビュー記事。

 この作家の話は私(たち)の今とこれからにたいへん重い話をしてくれたからだ。
 記事には、白抜きの縦見出しが2本置かれる。ドキッとさせる見出しだ。

   「必要なのは模索 『誰かが解決する』は幻想」
   「福島原発事故 日本に抵抗の文化ないのでは」

 見事に私たちのかかえている問題点をついていると思う。
 後者についてだけ、自分自身に刻みつけるため、話の一部を書き抜いてみる。 

  •  原発事故について「どの国の権力も混乱を恐れ、『事態はコントロールできている』と言いますが、フランスやスウェーデンでは国への提訴が幾つも起きました。するべきは抵抗です。 
  •  日本には抵抗の文化がないのだと思います。ある女性は、祖父を死に至らしめたと国を訴えたそうです。それが何千件もあったら、国の対応もかわったかもしれません。国は軍事ではなく代替エネルギーを見つけることに投資すべきです。 

 「日本には抵抗の文化ない」。このような言葉にして自分の国を私は考えていなかった。この頃のことで言っても、隣の韓国の騒ぎもテレビ画面をただ驚いて見ているだけだったし、「福島」もいまだ心は穏やかでないのだが、やっぱりただ見ているだけだ。

 さまざまな沖縄問題についても、口では国の対応を非難しても、アレクシエービッチさんの言う「抵抗の文化がない」自分を肯定せざるを得ない。こんな体たらくでただ死を待っていいはずはない。

 手元の辞典(新明解国語辞典)には、「抵抗」の意味を「①外からの力に対し、負けまいとはりあうこと。②権力者や旧道德にしたがうまいと、はむあうこと。」と書いてあった。

 それにしても自分には重い言葉だ。( 春 )