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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

5月14日

2015年5月14日

 自分が人間の一員でありながら(人間ってどうしようもない生きものだなあ。どんどん悪くなることはあっても善くなっていくことはないのだなあ)と思うことがよくある。

人間同士のあるべき決めごとというのはそれほどたくさん必要ないのではないかと思うのに、それがどんどん増えている。その増えることが増やすことにつながっていくからどうしようもない。このままでは止めようもないし、止まることもないだろう。悲観的なもの言いは好きではないが、どうもそうしか言いようがないように思われる。

 私が教師になったときの自分の原点は、言葉は正確ではないが、「教室から出て行った子どもを追ってはならない。子どもは本来教室が好きなのだから、教室が楽しければもどってくる」と言ったA・S・ニイルのことばだ。

 自分の仕事はニイルの言葉がすべてと思いこんだのだ。つまり、どの子にとっても楽しい教室をつくることが仕事なのだ。だからと言って、そんな教室を容易につくれたわけではない。でも、つくれないからといって、子どもを縛るものを決めていっても何一つ解決することはないわけだ。スローガンを張ってある教室をよく見るが、私は張った記憶はない(学年の縛りで張ったことがあったかもしれないが・・・)。

 このことは、教室や学校とまったく同じに考えることはできないかもしれないが、国や自治体は別だとは言えないのではないか。いろんな決めごとつくりに懸命になっても全体の益にはあまりならないように思う。住みやすい世の中になれば無用と言える決めごとがたくさんあるのではないか。心配性の人が心配を解消しようとしてつくる決めごとでうまくいくことはあるのだろうか。おそらくあるまい。むしろ心配ごとがますます増えるだけではないか。

 社会で不祥事が起こるから道徳教育をという考えもまるっきり同様に私は考える。

 14日の朝日新聞「折々のことば」は、「教育において第一になすべきこっとは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを体に覚え込ませてやることなのである。」であった。