mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

7月3日

 2014年7月3日  とうとう集団的自衛権の行使容認が閣議決定した。あとは、多数を勢いに国会乗り切るという算段なわけだ。これまで何度もここを踏み越えてはと押さえに押さえてきたものが安倍政権のもとで、すべての意見を無視して決めてしまった。この乱暴な国民無視の姿勢に私たちはどう対処すべきか、このまま下がるわけにはいかない。  2日の朝日県内版で、県知事がなんと「時代のニーズに合わせて一定の解釈の変更があってもやむを得ない」「(自衛官が危険にさらされる可能性が高まることについて)血を流さないように万全の準備で臨まなければならないが、血を流すことで国を守ることになれば、自衛官として本望だと思う」と述べた、と書いてあった。これにはまたまた驚いた。「血を流すことで国をまもることは自衛官としての本望」、自衛隊の人々はみんなそういう“覚悟”をもっておられるのか、ただただ頭が下がるだけなのだが。たとえ自衛隊のみなさんが血を流す覚悟でおいででも、私は、たとえ一人でも血を流してほしくない。知事の言う「本望」という言葉はひどく不気味に響く。たとえ、知事は元自衛官であっても軽々に口にしてほしくない。知事は、集団的自衛権はそこまで広がることを想定するから出たコメントだろう。  9条をもつのは日本の誇りであると同時に、戦争で血を流し合うことのない世界にという願いと意味ももっているという誇りをももつと私は思っている。  学生時代に岡倉古志郎「死の商人」を読んで、「死の商人」という言葉に戦慄を覚え、今でも体にはりついて離れない。なんと、9条をもつ国の安倍首相は、集団的自衛権を決める一方、数えきれないほど「平和と安全」を繰り返し述べていたが、その彼が一方で、なげかわしくも、外国をまわって武器・原発の輸出という「死の商人」になっている。  それでも9条はまちがいなく私たちの憲法のなかに生きている。私たちは、今こそ本気で自分たちの生き方を考えなければと思う。決して傍観者であってはならない。