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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

6月12日

 

 いま、朝の布団の中での読書は「惜檪荘主人― 一つの岩波茂雄伝」。別に岩波創業100年に合わせたわけではなく、先日、万葉堂でたまたま見つけたもの。小林勇著で1963年に出た。小林は、数え年17歳で長野から上京、兄に連れられて岩波に直接「この弟は本が好きなので働かせてほしい」と頼んでもらい入社、後に、岩波の会長になった人。

この「惜檪荘主人」は年度ごとの章だてになっており、岩波茂雄岩波書店の動きが目に見えるように書かれており、人間関係もうらやましくなる。

小林が入社当時の社員は10人に満たない。岩波茂雄は社員から「センセイ」と呼ばれていた。東大哲学科を出た後一時女学校に勤めたことがあるためだろう。小林が言うには、社員との飲み会の席でこんな言い合いがあったとのこと。

「ぼくはセンセイと言われるのは嫌なんだ」「それでは旦那様だ」「旦那様は嫌だ」「それでは親分」「親分はやめてくれ」「それでは親方」「馬車屋のようでいかん」「面倒くせえ ハゲだ」「ハゲはひどいな」。

 あの岩波の初期の頃の社内の空気が想像できる。結局その後も「センセイ」だったようだ。

 小林22歳の時、卸セールが終わったあと、「休みをとりたい」と岩波に言うと、「何日だ」と聞くので、1週間ぐらいと考えていたが「1カ月」と言うと、「長いな」と言いながらOKになり、150円ももらう。そして、旅に出ようとすると岩波も「僕も行く」としばらく一緒に歩くことになったという。岩波茂雄という人間の大きさが伝わると同時に、こんな時代があったんだなあとうらやましくなる。

 それにしても、教職に就くと即「センセイ」になり、いつまでも身から剥がれないのには辟易するので、岩波が「センセイといわれるのは嫌だ」と言ったのはよくわかる。子どもや親に言われるのは仕方ないとしても、同僚同士でも「センセイ」と平気で使い合うのはどうしたことなのか、私には理解できない不思議のひとつだ。斎藤喜博は「さん」で呼ばせたそうだが、オレが全体に言うわけにもいかず、自分だけは言わないようにしたが・・・。辞めて何年経ってもなお「センセイ」には頭が痛くなる。

 岩波茂雄は、雑誌「世界」が創刊された1946年、66歳で亡くなった。

 以前、鎌倉の東慶寺高見順の墓を探して行ったとき、岩波家と初期の岩波の書き手の墓が並んでいるのを見つけてびっくりしたことを思い出した。