【3日目】4月9日(土) (晴れ 25℃ 暑い)
熊野古道②「大股~伯母子峠~三浦口18.9km」
《3日目の全行程》
◇大股バス停からスタート(8:05)
昨日のお宿は、古道ルートから1kmほど離れていた。ご主人が「昨日の続きのルートまで車で送るから。」と言ってくれた。「いえいえ、そんなに律儀にルートを守る気はないので、登り口までお願いします。」
どっちにしろ1kmちょっとなので、歩いてもどうってことないが、少しでも体力温存。
バスが来るとは思えないような、奥まったバス停だ。
観光がてらまた来たい、と言うと、「観光なんて何にもないよ。来るのは渓流釣りだけだ。どれ、写真撮ってやるから。」
《行程前半:大股バス停-萱小屋跡-桧峠-伯母子岳-伯母子峠-上西家跡へ》
◇いやあ、きつい坂だあ
山登りに出てくる急なガレ場ほどの道ではないが、カメさんが歩くようなのろまな足取りだ。
息が上がらないようにするにはこのペースしかない。あせらず行こう。
今日の目標は、午前中のうちにピークを越えること。
昔、縦走している人に聞いたのだが、朝の4時5時から行動し、午前中にその日の目的地まで歩くのだそうだ。それは、高い山だと午後に天気が急変する場合が多く、安定している午前が勝負と言っていた。
小辺路は高山ではないが、午前勝負はまったくその通りだと思う。しかし、足がカメさんじゃ。
萱小屋跡(9:05)で一服しなきゃ! ふ~ふ~、ひ~ひ~
◇今日は、歩く人多いな
桧峠(10:05)
ここまでの2時間きつかったなあ。カメさんの歩みなのに、大丈夫かおいら。
この間、3グループの登山者に追い抜かれた。みんなヒョイヒョイ登っていく。
降りてくる数人の登山者とも会った。
思えば今日は土曜日で、天気も最高。この先にある伯母子岳への登山なのだ。
挨拶を交わした地元のおんちゃんは、「眺めが最高の山として知られているから一度は登っておかないとな」と教えてくれた。
もちろんおいらも頂上経由でいくつもりだ! だった。
◇あれ?もう伯母子峠なの?(11:00)
桧峠を過ぎると道が平坦になった。ふう~少し楽できるなあ。
でも、たいていの場合、山腹を巻くように作られた道は、次の急登を予告している。
楽なのはほんの少しだろう。そう思ってどんどん歩いた。
いつまでたっても急な登りが出てこない。
1時間ほどしたころ、前方の視界が開けた。
ん?避難小屋やトイレがある。え!まさか峠に着いてしまったの?
頂上に行くつもりだったのだが。
道標を見逃したかな。護摩壇山に右折するところは確認した。
地図で見たら、三叉路になっていて、真ん中が頂上へのルートだった。
そんなに早く頂上ルートが出てくるとは思わなかったので、先へ先へと歩いてしまった。
もちろん峠からも頂上に行ける。ここを20分ほど登っていくだけだ。
少し考えた。この時点でまだ半分も来ていない。
往復4、50分はかかるはず。ん~360度の大パノラマかあ・・・。先があるしなあ・・・、ここからだって十分絶景だ。がまん、がまん。
◇上西家跡へ向かう
歩きやすい道ではあるが、左側がかなり深く落ち込んでいて気が抜けない。
崩れたところもよく整備してある。左が崖なのには変わりないが。
急斜面を強調しようとスマホを傾けたら、こんな恐ろしい道になってしまった。滑落間違いなし。雨が降っていなくて本当に良かった。
こんな場所が何カ所も出てきた。迂回路を作ろうにも作れる場所がないのだ。
昔の人たちは急峻な山をつなぐために、最善のルートとして歩いたのだろう。
こういう急斜面の道を歩くときは、おっかないからといって重心を山側にかけないようにした。体をまっすぐにするために、谷側の足にしっかり加重して踏み込んだ。スキーと同じだ。
少し安心なところで昼食を取った。あら、水が残り少ねえ。
《行程後半: 上西家跡-水ヶ元屋跡-侍平屋敷跡-伯母子岳登山口-三浦口バス停》
◇上西家跡(12:35)
見て分かるように石垣が積まれており、旅籠があったという。こんな山奥に。
しかも昭和の初め頃まで営業していたようだ。
それほどまでに小辺路が使われていたということか。
逃げ場のないルートだからこそ、旅人にとってはどんなに有り難かったことか。
歩いてみてそう思う。
さあ、一服したので、長い下りを続けよう。
◇水ヶ元茶屋跡(13:25)で2つ切れた!?
《水切れ》
普段の日帰り登山では500㎖ ペットボトル1本あれば十分だった。
何年もそれが習慣だった。体が要求しないので、良くないとは分かりつつも水分はあまり取らなくて済んだ。
ところが、今日は気温も高く、午前中かなり汗が出た。すごくのどが渇いた。
持ってきてたのは、お茶でもスポーツドリンクでもなく、桃味の水だった。
まあ、あと1時間ちょっとだから我慢して歩くしかないか。
《スマホの電池切れ》
ここの写真を撮ろうとしたら、あらま、電池切れだ。
四国遍路を回っていたとき、写真撮りまくったら、どんどん電池が減っていくことを知った。
だから、ほどほどに撮っていたのに・・・
あ、あれだ!
登山アプリだ。ルート上に現在地が表示される優れもの。
今日の伯母子岳で使ってみることにしたのだった。
あ~無駄なことやってしまった。
山登りの基本教書を思い出した。
“ スマホはあくまでも緊急事態の場合の通報用として、予備のバッテリーも持参 ”
“ カメラは小型のものを準備 ”
どれも守っていなかった。
何も起こらないと誰が言えようか。
◇侍平屋敷跡で、ヤマンバと遭遇?(14:25)
喉からからで、足が妙に重くなってきているのを感じた。
もちろん長い下りのせいなのだが、脱水症状になりつつあるのかもしれない。
ちょうど「待平屋敷跡」にたどり着いたので休憩だ。
そこに説明板があった。休みがてら読んでみた。
“ ここに、髪が真っ白で、口が耳まで裂けたヤマンバが住んでいた。麓から登ってくる村人を襲ったり追いかけたりしたという言い伝えが残っている ” のような内容だった。普段なら、またまたあ、どっから出た話だい。
でも、この山深く、鬱蒼とした森の中なら、あり得ると思ってしまった。
いやなもの読んでしまった。
ここは早く立ち去ろうと歩き出したとき、薄暗い森の道から人気がした。
髪は白髪、ヤマンバだ! 心臓が止まりそうになった。
音もなく、すうっと現れた。
背中には大きな箱のようなザック。
縦走していることが見て取れる。
声は出さず、頭だけ下げた。
返礼はなく、ゆっくりゆっくり登っていった。
けっこうな年齢の女性だった。
いやいやびっくりした。あまりにもタイミング良すぎたな。
おいらとは逆コースで小辺路を歩いてきたのだろう。
山経験豊富なただずまいを感じた。
この時間からすると、峠の避難小屋で一泊するのだろうか。
尊敬するばかりだ。
それにしても一瞬、汗が冷や汗に変わった。
◇伯母子岳登山口についた!(15:00)
《自販機はどこだ~》
急坂を下ると川筋の舗装道路にポンと出た。
水、水、とにかく水がほしい。
見ると、古ぼけた手書きの案内板に「自販機、この先1km」とあった。
よし、よし。すぐだ。
はあ~はあ~しながら歩いて行くと、家が2軒ほど見えてきた。
あそこだな。何か店っぽくもある。
あれ? 空き家だ。
自販機には日に焼けたカバーがしてある。
勘弁してくれ。
さらに歩いて行くと,三浦口バス停があった。
家はあるが自販機がない。
あきらめて、民宿に行くための舟渡橋(明日の出発点でもある)を探した。
吊り橋のような橋だった。
桜が咲いていたので、渡る前に一服しようと思った。
そうしたら、枝の間から自販機が見えた。
しいたけ集荷場の建物の前に置いてあった。
はあ~、助かったあ。ごくごく飲んだ。
《これが民宿への道なのか?》
一息ついて、本日の歩きは終わったなと、民宿に向かった。
舟渡橋を渡ると、正面に「民宿左2km」という手作り看板があった。
え、この道? さっきまで歩いてきた山道と変わらない。
それどころか、枝が道をふさいだり、落石の石がごろごろしてる。
見た感じ、ここ1年人が歩いた形跡はない。
川っぺりの急な崖の道。
ここが近道なのは分かるが…
長年の経験から、手書きの2kmは3km以上が覚悟だ。
当たった。
◇お宿に到着(16:00)
山間にぽっかりと開けた所に5、6軒の集落が出てきた。
田畑も少しある。
早春の感じが何ともいい。
出てきた女将さんは「あらなんでしょ、電話くれれば迎えに行ったのに、歩いてきたんですかあ。」
そうしたかった。本当は。電池切れ。
本日のお客はおいらのみ。
食事の時に、旦那さんも交えて歓談。
どんな暮らしをしてきたのか、いろいろ教えてもらった。
「何も知らずに嫁に来たんですよ。当時は原木椎茸を採りに山を1時間半越えるんです。大きなかごに椎茸を山のように積んで、それをしょって山道戻ってくるんです。重かったですよ。でも、しばらく前からイノシシに全部食べられて今はやってません。」
「お米は自家用に作っているだけです。全国の品種をいろいろ試してみたの。冷たい水でもおいしくできたのが “ あきたこまち ” なの。」
どうりで、うまいはずだ。
小辺路を歩く人は、どれほどいるのか聞いてみた。
意外な答えだった。
「コロナ前は、ほとんどが外人さんなの。何ヶ月も前から予約が入るので、日本の方を断ることもありましたよ。全員が外国人の日もずいぶんありました。」
ふ~む。外人さんか。交流したかったな。
歩いてみようという動機は共通だ。
さてさて、今日は水不足になってピンチだったが,何とかたどり着いた。
体力消耗が激しかったので、足のお手入れをしてさっさと就寝。