mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより88 オニドコロ

  暮らしとつながる在来種 消えゆく野老堀り

 木々が木の葉を落とし、野山は寂しくなりました。初冬の陽が山の斜面を低く照らしています。茶色の山肌に何か逆光に光るものがあるので近づいてみると、灌木に巻きつくツルに穂状につらなるたくさんの果実でした。すでに種子を風で飛ばしたあとなのか、小さなチューリップの花びらのように開いているのもあります。これはオニドコロの果実です。

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    寂しくなった山の斜面を飾るイルミネーション(オニドコロの果実)

  オニドコロはヤマイモ科ヤマイモ属の多年草で、北海道から九州にかけて分布、山野の開けた草地や川岸などに生えるツル植物です。普段は目にとまることのない野草ですが、夏にこの場所でたくさんの小花をつけていました。
 緑の葉はハートの形。小さな淡緑色の花はかすかな香りを漂わせています。オニドコロは、花を華やかに飾るのではなく、小さな花をたくさん集めてその香りで虫をひきつけています。

 オニドコロは雌雄異株で、 雄花と雌花とがあります。どちらとも花の大きさは直径約5ミリほどで、花びらは6枚、平らに開いて咲きます。
 雄花は、花序(花をつけている枝や茎)が直立していることが多いようです。

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    直立する雄花の花序           雄花はおしべが6本

 一方、雌花の花序は下向きに垂れています。雌花は細長い棒のような子房のてっぺんにちょこんとのっています。雄花とのちがいはわかりやすいと思います。

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下向きに垂れる雌花の花序   子房の上にちょこんと   雌花は退化したおしべが
               のる雌花         6本、めしべが1本

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 受粉した順に子房が大きく   子房が膨らみ楕円形をした果実になります。
 なります。          このなかに種子ができます。

 オニドコロは漢字で「鬼野老」と書きます。ずいぶんおどろおどろしい名前ですが、この仲間には、オニドコロ、ヒメドコロ、カエデドコロなどと「~ドコロ」と呼ばれる種がたくさんあります。「トコロ」はその一群を指しますが、単にトコロという場合には、ふだん目につくオニドコロを指すことが多いようです。
 トコロの仲間は根に塊ができることから「凝(とこり)」と呼び、それがなまってトコロになったといわれていますが、その語源についてははっきりわかっていません。オニドコロの「オニ(鬼)」は、他のトコロにくらべて葉が大きいからということです。それだけで「オニ」をつけるのかと気になるのですが。

 トコロは「野老」と書きます。あまり馴染みのない漢字ですが、オニドコロの根を掘ってみたとき、そのヒゲ根の多さに驚き、はっとしました。そうか、野老(トコロ)は海老(エビ)と対になる漢字だと気がついたのです。
 エビは背中が丸く風貌がヒゲを生やした翁に見えます。それで、海の老人という意味で「海老」なのです。トコロの太い根はヒゲ根が多く曲がっています。それで「野の老人」すなわち「野老」としたのでしょう。「海老」と「野老」は、どちらが最初で後なのか、考えたのは同じ人か別人なのか、それはわかりませんが、「海」と「野」を対にして楽しんでいる。その先人の発想を後の人もおもしろいと感じたから、これらの漢字が残ってきたのでしょう。
 同じように土筆(ツクシ)、鬼灯(ホオズキ)、無花果(イチジク)、満天星(ドウダンツツジ)なども、漢字名がその植物の持つ独特の雰囲気を浮かび上がらせて私たちを楽しませてくれます。先人の発想と想像力は自然との豊かな向き合い方から生まれたもの。私たちも感性豊かにものと向き合いたいものです。

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  ツルをたどって生えている    掘り出したオニドコロの根。こんなにも
  地面の下を掘ります。      たくさんのヒゲ根がついていました。

 海の翁に見立てられたエビ(海老)は、今でも長寿の象徴としてお祝いの席に重宝されていますが、オニドコロ(鬼野老)のヒゲ根も、古来より正月の床の間に飾られ、長寿を願う風習があったようです。その風習は江戸時代まで広く行われていたといいます。「野老飾る」が季語になっているのも、その風習の名残なのでしょう。

 山の日に乾きし野老飾りけり  鈴木薊子
 夜おそく野老飾りぬ川のこゑ  岡井省二

 ヤマイモ科の多年草で、とろろ汁などで人気なのがヤマノイモ(自然薯)です。ヤマノイモとオニドコロは見た目が似ていて、葉や花が枯れてしまうと見分けがつきません。昔の人はどちらも同じように山で掘り出していたと思われます。
 今でこそオニドコロは、苦くて食料にならず、その根に有毒成分があって注意が必要と図鑑に書かれていますが、最初はそのオニドコロを食べた人もいたはずです。そしてその苦さに飛び上がったり、腹痛や嘔吐の症状で苦しい思いをしたりした人もいたでしょう。祖先は長い食生活の経験からオニドコロはイノシシも食わない山芋だと確かめていったのです。
 ところが祖先の知恵はたいしたものです。この苦くて有毒なオニドコロを、灰汁(あく)で煮て水にさらし、いわゆる「アク抜き処理」して食べられるイモにしていったのですから。

 郷愁や野老の味のほろ苦き  潮原みつ子
 卯の花や鞠子の宿の野老汁  田中冬二

 オニドコロ(トコロ)が食べられていた記録がないかどうか探してみました。
 新潟県のほぼ中央部にかつてあった石黒村の「昔の暮らし」を紹介しているHPがあって、そこの管理人の大橋寿一郎さんが書かれたものがありました。
「石黒では、昭和30年代までは、トコロの根茎を掘って食べた。強い苦味があるが若干甘味もあり、酒の肴や茶請けに好む人も少なくなかった。筆者の父親もその一人であったので、子供のころに食べた経験があるが、苦味が強く、好きにはなれなかった。」(「石黒の昔の暮らし」・オニドコロ)
 子どもは苦くて食べられなくても、大人の味覚は別なのです。酒の肴や茶漬けで食べられていたのなら、普通の家庭でも同じように食べられていたのでしょう。
 青森の観光・物産・食などを紹介している「まるごと青森」ブログのなかにもこんな記事がありました。
 「日本の食文化の中から消えてしまったトコロ。なんと、青森県の南部地方に、『トコロ』を食べる食文化が残っていました。同じ青森県でも津軽地方では食べませんから面白いものですね。南部地方では、木灰を入れた湯でコトコトと時間をかけて煮込み、冷ましたトコロをそのまま食べるのが普通です。ひげ根はとりますが皮はそのまま。冷ましてから指の腹でこすると、おいしいものほど皮がスルッと剥けるのだそうです。」(「あやしい苦味で虜にする魔性のいも『トコロ』・ 2007-12-06」
 こうしてみると、アク抜きしてトコロを食べる食文化が、地方には古くからあったと思われます。
 江戸時代には庶民のオニドコロの毒性を抜く方法を紹介し、飢饉の際などの非常救荒植物として広く伝えていった記録も残っていました。(下図・天保4年(1833年)刊 建部清庵著「備荒草木図」のなかのトコロ)

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オニドコロ(写真)と比べてもその特徴がよくわかり、根と食べ方も書かれています。
      (図版・「東邦大学保全生態学研究室 救荒直物データベース」)

 オニドコロの毒性を抜くのではなく、逆に漁法に利用してもいたようです。
 昔、「毒もみ」や「根流し」と言われる漁法がありました。今は禁止されていますが、河川などに植物などの毒をまいて魚を麻痺させて捕えるという漁法です。
 日本では主に山椒の木の皮が使われていて、宮沢賢治の童話の「毒もみのすきな署長さん」ではその様子が描かれています。その他に地方によって、シキミやエゴノキの実、そしてオニドコロの根を細かく砕いて使われていたようです。
 オニドコロのオニ(鬼)は、この毒性の怖さを語ってはいないのでしょうか。
 その他に、根茎を輪切りにして日干ししたものを萆薢(ひかい)といって風邪、腰痛、リウマチなどの民間療法として利用されてもいました。
 昔の人々がオニドコロをヤマノイモ同様に山で掘り出し、利用するという暮らしは普通に行われていたのです。

 野老掘だれともわかず別れけり  飴山實
 野老掘り山々は丈あらそはず   飯田龍太 

 トコロ堀りのめあてになるのが、穂状にならんでいる果実の集まりです。晩秋から冬にも淡褐色になったまま残っているので花の季節よりも目につきます。

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   紅葉のなかに目立つ果実     種子を飛ばした果実の殻は、冬まで残ります。

 オニドコロの果実は十分に熟すと、上部がさけて開いて種子が風に乗って飛んでいきます。種子も実と同じように細長く、楕円形の羽のような翼(よく)が片方についていて風を受け飛び出します。たくさんの種子がそれぞれの場所へと飛んでいきますが、条件に恵まれて発芽できるのはほんのわずかです。庭先に落ちて芽を出していることもありますが、ほとんどは雑草としてひきぬかれてしまいます。

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 果実は3つの翼をも 1室に2個の種子が    果実が開いて飛び出した種子。
ち3室にわかれます。  できます。          片方だけ翼がついています。

 オニドコロは「ところかずら」の古名で古事記に登場し、万葉集でも短歌一首、長歌一首が詠まれています。この目立たない植物に目をとめた古人がいたということがうれしくなります。こうした記録からもオニドコロが古くから日本に自生していた在来種であることも分かってくるのでしょう。
 「ところかずら」が「オニドコロ」とよばれ、学名がつけられたのは後世になってからです。その学名はDioscorea tokoro Makinoです。属名のDioscorea (ディオスコリデス)はギリシャの植物学者の名前ですが、種小名の tokoro は日本名のトコロそのまま。Makinoは命名した日本の植物学者の牧野富太郎の名前です。

 埼玉県の所沢市の市章はトコロの葉が図案化されています。所沢という地名はトコロとつながりがあって、在原業平(ありわらのなりひら)がこの地に寄った時、付近一帯が沢でトコロが多く自生していたのを見て、「ここはトコロの沢か」 と言ったことが地名の由来の一説として紹介されています。(所沢私立所沢図書館HP)

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       風を待つ種子            雪をまとった果実

 夏から秋にかけて。オニドコロ、ヤマノイモヘクソカズラ、ガガイモ、クズ、ノブドウヤブガラシなど多くのツル性の植物が入り乱れて繁茂し種子を残していきます。オニドコロはその中でも、意外にも人の暮らしとつながり有用な植物でもあったようですが、今は正月飾りの行事も無くなり、大人の味の苦さを味わう人もなく、野老堀りをする人もいなくなっているのでしょう。
 自然と暮らしの結びつきを急速に失ってしまった現代です。オニドコロはいつしか忘れ去られてしまう植物になっていくのでしょうか。(千)

◇昨年11月の「季節のたより」紹介の草花