mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

きおっちょら だより3

 このDiaryに、運営委員のさくまさんが始めた自立訓練(生活訓練)事業所の取り組みを紹介したのは、昨年1月末でした。研究センターからは歩いて10分ほどの場所にあるのに、このコロナ禍ということもあり、なかなか行かずにいました。そうしていたら先日、さくまさんから、この1年の取り組みを知らせるメールが送られてきました。全障研の機関誌『みんなのねがい』(2021年8月号)に掲載されたものだそうです。気負わず、焦らず歩む「きおっちゃら(カタツムリ)」、この1年の歩みを以下で紹介します。

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 みんな仲間だよ  ー きおっちょらの1年 ―
                      (佐久間 徹)     

 はじめに
 きおっちょら(*)は、開所4年目になる自立訓練(生活訓練)事業所です。障害者の学びの場を作りたいと、2016年に運営の母体となるN P O法人を立ち上げ、2018年4月に仙台市の認可を得て運営をはじめました。昨年の4月に、二人の青年が入りました。この二人と、きおっちょらの1年を振り返ってみたいと思います。
 (*きおっちょらはイタリア語でカタツムリのことです)

 佑くんと和くん
 2020年4月1日、二人の青年がきおっちょらの入所式を迎えました。佑くんは、高等部を卒業したばかりの18歳、和くんは1年先輩の19歳です。佑くんは、高等部から実習を重ねてきました。和くんは、安心して過ごせる場所を求めて入所してきました。この日から、佑くん、和くんたちとの不思議で楽しい日々が始まったのです。
 でも、コロナウィルスの感染が広がり、街のようすが一変しました。街は寂しくなり、公共の施設も使えなくなりました。和くんの大好きな図書館も閉まってしまいました。行き先は限られましたが、公園や神社など、緑と花を求めて外に出ました。室内では、べっこう飴や果物飴を作ったり、ヨガマットを使って体をリラックスさせたり、吹き矢をしたりと施設は狭く、設備はなくても、できるだけ多様な活動をやってきました。

 少しずつ、二人の変化
 雨が降って外に行けない5月、ジャンボジェンガをやってみました。午前中にジェンガのピース(段ボール箱)を組み立て、午後にゲームをしました。
 佑くんに机まで移動させてと頼んだら、 すぐに、「できません」と、断ります。それでも、支援員が「自分たちでやるんだから、二人でなんとかしてね」と話し、二人の動きを待ちました。佑くんがしばらく考えてから両手で積み重ねられたジェンガをしっかりと抱え、机の上に運んでくれました。
 ゲーム開始。あまり関心がなさそうにしていた和くんが、動き出しました。迷わず箱を抜きます。二人とも見る方向を変え、少し触っては動く箱を探して抜き取ります。交代で箱を抜いては上に重ねていきました。抜き取るときの真剣な表情、うまくいったときの笑顔、生き生きとした二人の対決は続きました。20分経過するころ、和くんは抜く箱がなくなり、箱を抜いたとたんバラバラと崩れました。二人がいっしょにゲームを楽しんだ初めてのことでした。

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 ジェンガ対決の後でノーサイドの肘タッチ。
 まだぎこちなさが残る二人です。

 そのころの二人に変化が現れました。佑くんは、買い物に行っても、車の中で待っていました。ところが、家族で買い物に出かけたある日、「いっしょに行く」と、自分でカートを押してお店の中を歩いて買い物をしたそうです。ずっとしてきたように、自然にカートを押して歩いていたそうです。
 和くんも自分から話してくれるようになってきました。お弁当を食べているとき、「嫌いなものは残してもいいですか」と、聞いてきたのです。学校のときはどうしていたのと聞くと、「残さずに食べていた」と、答えました。きおっちょらでは、自分で決めて良いよ、残しても構わないよと、伝えました。和くんは、そのときは食べ切りました。それから、焦って口に詰め込むような食べ方から、ゆっくりと食べるように変わってきました。「残してもいいですか」「パソコンやっていいですか」など、要求を少しずつ話してくれるようになってきました。

 佑くんが自分で決めた
 佑くんは、ズボンの紐を結べませんでした。紐を結んでほしいときは、「紐を結んでください」と、頼んできます。紐の結び方を教えてみることにしました。
 ゆっくりと、片方ずつ、動かし方を見せながら繰り返すと、3回目くらいで輪を作って結べるようになりました。一人で結べた時に、「できたね」と、言うと、にっこりしていました。きおっちょらでは結んでも、家ではまだ結んでもらっていました。

 11月のある日のことです。佑くんを送ってきたお母さんが、「今朝、自分でズボンの紐を結んだんです」と、うれしそうに話してくれました。その気持ちを、書いてくださいとお願いしたら、メールで送りますと即、承諾。夕方迎えに来たお母さんが、「メール届いてますか?」と聞かれても、着信が見つかりません。お母さんが、「あらーっ、お父さんに送ってしまった」と、お父さんの「その通りです」という、返信メールを見せてくださいました。家族のうれしい瞬間に立ち会えました。いただいたメールです。

<黒帯のごとく >

朝の雑踏の中、いつものように佑の着替えを急がせていると
また、ズボンの紐が結ばれていない
時間がないので、いつものように私が結ぼうとすると
彼は、ゆっくりと私に手のひらをかざしてみせ、私をせき止めた…
少し、はにかんだような笑みを浮かべながら、ゆっくりと紐を結び始めました
その姿は、まるで柔道の黒帯をしめるがのごとく、ゆっくりと堂々していました
我が子の成長を垣間見る瞬間でした
私の心に光がさし✨
きおっちょらさんに、感謝した瞬間でもありました✨
今日もありがとう
いつもありがとう (一部省略)

 仲間とともに育ち合う
 寒さが厳しくなる11月末のことです。朝から思うように動かない佑くんが、午後になって、喉のあたりを指さして「ここがあついです「と、言ってたので、早めに迎えにきてもらい、翌日はお休みとなりました。和くんに「残念ながら、今日は一人です」と、言うと、「お昼食べたら、帰ろうかな」と、がっかりしていました。一人になった気持ちを言葉にするようになっていました。

 互いに話し合うことはありませんが、仮面ライダーウルトラマンが好きな和くんと、昭和の怪獣が大好きな佑くんは、話しが微妙に重なりながらもずれていました。それでも1年近くいっしょにいると、二人の話題が少しずつ重なってきました。和くんが、佑くんの怪獣の話に入ってくることも多くなりました。また、佑くんの決めポーズも、鉄人やゴジラにウルトラアタック光線やスペシュウム光線が加ってきました。

 2月から、佑くんの同年代の遥さんが仲間入りしました。ちょうど節分の頃なので、豆まきをしました。「鬼をやってくれる人はいませんか」と、投げかけると、二人とも自分から、鬼になって、豆をぶつけられていました。二人とも、家では鬼になったことはなかったそうです。自分たちで盛り上げようとしたんだと、改めて二人のやさしさを感じました。
 3月半ば、佑くんと遥さんが休むことが多くなりました。佑くんは「修了式は行く」と、言っているので、自分で決めるのを待つことにしました。修了式の前1週間は和くんだけの日が続きました。「一人じゃ、何もやることがない」とか「見捨てられた」と言って、活動に集中できませんでした。
 修了式には佑くんは自分で決めて参加しました。二人に修了証を手渡すと、誇らしい表情で受け取ってくれました。和くんは「ぼくのきおっちょらベスト5」を発表。「手伝ってください」と、支援員に発表用のボードを持ってもらうように頼みました。自分からお願いしたのは初めてでした。佑くんは、僕の好きな怪獣を発表してくれました。

 二人は、4月になっても休んでいる遥さんを心配していました。遥さんは休んで家にいても、送っていたお便りを見て、二人のようすを楽しんでいたそうです。オンラインで話をした後に自分で来ることを決め、今は、おばあちゃんとお母さんの助けをもらって通所しています。仲間たちといっしょに過ごすことがみんなの力を引き出していると実感しました。

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   今年5月26日、遥さんが提案して、
     みんなで作ったベイクドチーズケーキ 

 きおっちょらは、ようやく青年たちの自分づくりの場として動き出しました。この “ かたつむり ” は、海が荒れ狂っても、みんなを乗せて海底をゆっくりと進む “ 大海かたつむり ”(ドリトル先生)のように、仲間たちを乗せてゆったりと進みます。これからもゆっくりと。
          (全障研『みんなのねがい』2021年8月号 掲載より)