mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより63 ニシキギ

「錦」で形容された紅葉 「翼」を持つ恐竜の木

 秋の紅葉は、モミジやカエデが美しいというイメージがありますが、それに劣らず美しく、華やかで錦の織物のような紅葉を見せる木ということで、名づけられたのがニシキギ(錦木)です。
 ニシキギは、ニシキギニシキギ属の落葉低木で、もともとは山野に自生している木ですが、秋の紅葉を身近に楽しむために、公園や庭、生け垣などに盛んに植えられてきました。 

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    ニシキギの美しい紅葉。「錦」のようなので、「錦木」と書きます。

 ニシキギの赤い葉のかげをのぞくと、すでにできていた実が裂け、小さな橙色の種子がぶら下がっているのが見えます。ニシキギが落葉すると、錦の紅葉を引き継ぐかのように種子が鮮やかに見えてきます。
 橙色の皮は、なかの種子を包んでいる仮種皮で、オイルを豊富にふくみ、高カロリーなので、鳥たちにとってはごちそうです。コゲラ、ウトリ、エナガなどが、そのまま呑み込み、なかの種子だけが消化されずに残って糞と一緒に排出されます。ニシキギの種子は、空の旅をしながら分布を広げています。

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   葉かげの橙色の種子     落葉が始まると、種子が姿をあらわします。

 ニシキギの紅葉が終わって裸木になると、変わった姿が見られます。ニシキギの古い枝の周囲にコルク質の風変わりな「翼」(板状の突起)がついているのです。ニシキギの学名は、「Euonymus alatus」で、種名の「alatus(アラツス)」は「翼のある」を意味し、この翼はニシキギ独特のものです。

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   落葉が始まると、翼のついた木の枝が見えてきます。    ニシキギの冬の枝

 ニシキギは、この翼が弓矢の弓の弦 (つる) を受ける矢筈(やはず)に似るのでヤハズニシキギ(矢筈錦木)と呼ばれたり、カミソリの刃にも見えるので、カミソリノキ(剃刀の木)と呼ばれたりする別名を持っています。こどもたちに見せると、キョウリュウノキ(恐竜の木)と名づけました。

 この翼は何のためにあるのでしょうか。虫から身を守るためとか、枝折れの補強とか、いろいろ考えられますが、調べても明確な答えはないようです。
 この疑問について、植物学者の塚本裕一教授(東京大学)は、翼は一種の突然変異のようなものだとし、「・・・ニシキギのコルク層は完全にコルクであって、光合成の役には全く立ちません。しかしコルク層の発達が特に生存・繁殖にとって不利でも有利でもなかったため、いわゆる中立的変異として集団の中で振るまい、たまたま蓄積し・・・、加えて、鑑賞価値が大変高いため、人為的に繁殖を助けられたこともあり、世の中に広く分布するようになったのでしょう。一般に生物の形態の進化は用不用説で考えすぎない方が妥当です。・・・」とコメントしています。(「みんなのひろば」・日本植物生理学会)
 自然界の生きものの形には、役に立つか立たないかで判断してはいけないものがあるようです。

 ニシキギは、この翼のある枝から伸びた若い枝に冬芽をつけ、春先に芽吹き、若葉を広げていきます。初夏には全体が緑におおわれ、翼のついた枝はすっかりかくれて見えなくなります。

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     若い枝につく冬芽            広げる若葉

 5~6月頃、ニシキギは、 葉腋から葉より短い柄を出し、淡緑色の花を数個つけます。花びら4枚、雌しべ1、雄しべが4個で、ガクが4裂する小さな花です。ニシキギは、秋の紅葉で葉や果実の美しさはよく知られていますが、花の色は葉に似た色の小さい花なので、目にする人は少ないようです。

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         ニシキギの花は、淡緑色の小さな花です。

 花は葉が変化してできたものですが、虫媒花は、虫をひきつけるために美しい花びらやいい香りを持つものが多く、そのほうが生存に有利です。ところが、ニシキギの花の花びらは、葉と似た色で、しかも花は小さく、いい香りをするわけでもありません。これで虫たちを誘うことができるのかと心配になります。
 ところが、虫たちはやってくるのです。ハエやハナアブの仲間、スズメバチなど、大小さまざまな昆虫が集まってきます。その昆虫をねらってクモが見張っていて、自然の小さなドラマも展開されます。

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    雄しべが見える  ニシキギの花        花びらが4枚の十字の形

 淡緑色の小さな花でもわざわざやってくるということは、その昆虫たちにとって魅力的なところがあるのでしょう。
 ニシキギの花を見ると、小さな花びらを水平に開き上を向いて咲く単純な造りをしています。蜜は雌しべと雄しべの土台になっている花盤から出すので、短い口で蜜をなめる昆虫には好都合です。なめる口を持つハエやハナアブ、ハチの仲間は、蜜の得やすいニシキギの花を探して集まってきます。ニシキギは、チョウやスズメガなどの昆虫を頼りにしないので、派手な色の花びらや花の香りを持たなくてもいいのです。
 ニシキギ科のマユミ、ツリバナ、ツルウメモドキの花はどれも同じような花のつくりです。ハナイカダの花も淡い緑色の花びらをしていて、ニシキギよりも小さい花ですが、それでも、受粉し実をつけて、りっぱに種子を残しています。(季節のたよりNO27
 どの虫媒花も花の色や香りで昆虫を呼び寄せているわけではないようです。地味で単純な造りの花でも。蜜が得やすい花なら、その花を求めて集まる昆虫も多くいることがわかります。

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        山野に自生するニシキギ。色づく葉の色彩が多様です。

 秋田県鹿角市の、ある公園に「錦木塚」(にしきぎづか)という塚が古くからあって、「錦木」にまつわる伝説が語り継がれています。「あきた森づくりサポートセンター」の樹木シリーズ「ニシキギ」のなかで、その伝説を紹介しています。

 錦木塚伝説・・・草木村の若者が、毛布(けふ)を織る娘に恋して、紅葉が美しい錦木をその女の門口に立て続けた。女は嬉しく思ったが、父に反対されてしまった。錦木が千束に達する直前、若者は落胆の余り死亡、その後を追うように娘も亡くなる悲恋物語。父親は娘の思いを知らなかったことを嘆き悲しみ、千束の錦木と一緒に一つの墓へ夫婦として葬ったのが錦木塚である。( 「東国名勝志」1762年刊行、国立国会図書館デジタルコレクション)

 この「錦木塚」は、平安時代には歌枕として多くの和歌に詠まれています。室町時代には、能の創始者である観阿弥の子、世阿弥によって、伝説を題材に謡曲「錦木」が作られました。今もこの伝説は「錦木」と結びつけられ、広く知られています。

 ところで、この伝説のなかの「錦木」ですが、ニシシギ科のニシシギと同じもののように、本やブログで紹介されているのが、気になりました。
 というのは、当時、陸奥の地方に、束ねた「錦木」を、思う人の家の門口に立てて、相手が受け取れば、その愛はかなうという風習があり、その「錦木」は、「1尺(約30センチメートル)ほどの五色に彩色した木のこと。」(「詳説古語辞典」三省堂)とされています。また、当時の風習に関連して、次のような考察も見られます。
 「“ 錦木 "というのは、植物学にいうニシキギ科の落葉灌木そのものを指すものではない。・・・ここでは恋する若者が女の家の門に立てる木の束ねたものを指すのであろう。菅江真澄というなかうど木がそれで、真澄はそれを、楓・まきの木(真弓)、酸の木(ヌルデ)、カバザクラ、苦木(にがき)の五種類の木の枝を適当の長さに切って束ねたもの、と具体的にあげている。なかうど木は、つまり仲人木で、恋の使者の役目を果たすからである。」(「碑(いしぶみ)の周辺 第20回」・ あきた 通巻104号・秋田県広報協会編)
 伝説の「にしきぎ」と植物の「ニシキギ」は、やはり違うもののようです。

 「錦」とは、刺繍や後染めの技法を使わず、いろいろな色糸や金糸を織りこんだ美しい模様の絹織物のことをさし、昔から人々の暮らしの中に憧れの存在としてありました。その思いが、いつしか「錦をかざる」「錦をまとう」という表現を生み、もとの意味が転じて、美しいものに例えられて、辞書をひくと、錦秋、錦鯉、錦衣、錦貝、錦絵、錦海老・・・・と、じつに多くの「錦」のつく日本語がつくられています。
 植物に名づけられた「ニシキギ」も、錦木伝説のなかの「にしきぎ」もまた、その美しさにふさわしい「錦」の文字が使われています。二つは違う意味を持ちながら、たまたま同じ音声と文字の熟語として生まれたものだったのでしょう。

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   紅葉した木々がまわりを囲んでいますが、ニシキギの紅葉は鮮やかです。

 かつて勤務していた小学校の、校門に向かう生け垣にもニシキギは植えられていて、秋になると真っ赤に紅葉し、登校するみんなの目をひきました。
 こどもたちに「これ、何の木なの」と聞かれて、「ニシキギ」と答えたら、「変な名前」と返ってきました。どうも「2匹の木」と聞こえたらしいのです。錦鯉は「2匹の鯉」のイメージなのです。こどもたちにとって、「錦」はもう古語になってしまったのでしょう。
 錦織のその起源は古く、西陣織の起源とされる15世紀の応仁の乱よりずっと以前から存在し、少なくとも1200年以上作られている伝統の織物で、練達の職人たちの技を集め、70を超える工程を経て、時間を惜しまず丹念に作り出されるものだそうです。(「伝統技術の継承と古代織物の研究が生む『錦織』の美の極み」・婦人画報2020.7)
「百聞は一見に如かず」です。博物館や工芸館、伝統工房で、本物の錦織の作品を直接目で確かめて、機会があるなら手の感触で味わって、日本の職人の手による織物文化の見事さを肌で感じて味わう以外に、「錦」が伝えるイメージは、つかめないのかもしれません。(千)

◇昨年11月の「季節のたより」紹介の草花