mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより60 野菊の仲間

 秋の風景を彩る野の花
 「野菊」のイメージを育てた文学や歌

 散歩道に白や薄紫色の野菊が咲き乱れ、静かに秋の訪れを知らせています。
 野菊というのは、特別に「ノギク」という1種類の植物があるわけではありません。一般に庭園や庭先に見られる「菊」の花は、中国で栽培種としてつくられ、平安時代頃に日本に渡ってきたといわれています。日本には秋に花を咲かせる菊に似たキク科の植物が多く自生していました。栽培種の菊に対して、野に自生するキク科の植物をまとめて野菊と呼んだのです。

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       咲き乱れる野菊、イヌタデの花も風にゆれています。

 キク科の花の特徴は、小花がたくさん集まり頭状花というひとつの花を作っていることです。ひとつの花(頭状花)は、筒状花と舌状花といわれる小さな花が集まりでできています。野菊といわれる花は、中央が筒状花、まわりを舌状花がとり囲んで、ツワブキやヒマワリに似た花の形をしています。(季節のたより39 ツワブキ
 県内にはノコンギク、カントウヨメナ、ユウガギク、シラヤマギク、シロヨメナなどの野菊が自生していますが、どの花も同じような形をしていて、その見分けは難しく、私も苦手です。写真を撮り始めた頃は、まったく区別がつかず、野生に咲くキク科の植物はみな野菊としてすませていました。
 何年か見ているうちに、なんとなく雰囲気のちがいを感じられるようになりました。いくつか気がついたことをメモ風にまとめてみます。

 普通に目にすることのできる野菊がノコンギクです。野山や人里だけでなく、自然公園や道端の、日当たりの良い場所に咲いています。漢字では「野紺菊」ですが、花の色は紺色というより薄紫から濃い紫色まで変化に富んでいて、濃い色の花は河原などでよく見かけます。地下茎が発達しているのでしょうか、横に這うように広がって群落をつくっていくようです。
 ノコンギクには、舌状花も筒状花も長い冠毛(かんもう)があるのが特徴です。種子が熟すとこの冠毛がパラシュートになります。ノコンギクの種子は、タンポポのように風に運ばれ遠くまで飛んでいくことができます。

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    秋の日ざしに映えるノコンギク    ノコンギクの花びらは紫色を帯びます。

 ノコンギクにもっともよく似ているのがヨメナです。ヨメナは山菜として食べられ、《万葉集》でも春の若菜摘みとしてうたわれていますが、宮城県内には分布していません。見られるのはヨメナの変種とされるカントウヨメナです。
 カントウヨメナは優しい趣の野菊で、山地に少なく少し湿り気のある野原やあぜ道、河原の土手に咲いています。花の色はノコンギクと似ていますが、大きな違いは、種子にある冠毛が短くて殆ど見えないことです。種子はタンポポのように風にのれないので、近くにこぼれるだけですが、湿った場所に生えていることを考えると、水の流れなどを利用し運ばれているのでしょうか。

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  あぜ道に咲くカントウヨメナ     カントウヨメナは優しい趣の花です。

 カントウヨメナより少し乾いた環境に生えていて、繊細な趣のあるのがユウガギクです。葉が細かく切れ込み、長い花茎の先が枝分かれして広がり、その先に白い花を咲かせます。花びらは白が普通ですが、淡い紫色も見られます。地下茎で増えて群落をつくり、咲き乱れる姿は美しく優雅。それで優雅菊かと思ったのですが、漢字は柚香菊でした。花をつぶすとユズの香りがするからということですが、ユズの香りはしませんでした。

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  先端が枝分かれするユウガギク     ユウガギクは繊細な趣の花です。

 その他に、山地や山野に見られる野菊にシラヤマギクやシロヨメナがあります。
 シラヤマギクヨメナと同じように若芽が食用にされて、ヨメナ(嫁菜)に対してムコナ(婿菜)と呼ばれます。葉の両面に毛があって、茎、葉をさわるとざらつく感じです。白い舌状花は不ぞろいに付いて、歯がぬけたように見えるのが特徴です。
 シロヨメナは、ヨメナに似た白い花を咲かせます。全体がバランスのとれた形をしていて、小ぶりながらたくさん花を咲かせます。ハイキングやトレッキングで野山を歩くと、よく目にとまることの多い野菊です。

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  舌状花が不ぞろいなシラヤマギク     ヨメナに似た白い花のシロヨメナ

 野菊をとりあげた文学作品といえば、伊藤佐千夫の「野菊の墓」(1906/明治39年)があげられます。野菊は単に「野菊」として次のように登場してきます。

道のまん中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとにぬれて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯(うらが)れて、水蕎麦蓼(みずそばたで)など一番多く茂っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕はわれ知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇(わき)へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
                   (「野菊の墓岩波文庫

 両側が田んぼの田舎道に咲く草花の描写ですが、ここでは、タウゴキ、ミズソバタデ(水蕎麦蓼)、ミヤコグサ(都草)の名前はどれも具体的に書いているのに、野菊だけは具体的でありません。そこに興味を持った人たちがこの野菊は何かと探索を始めたのでした。
 小説の舞台は、千葉県の矢切の渡しを東へ渡った矢切村というところ、季節は秋の末ということから、「ノコンギク」という人、「カントウヨメナ」という人、そしてどちらか決められないがそのどちらかに間違いないだろうという人に分かれました。
 「野菊」が何かと推理する楽しみはそれとしてあるのですが、この作品についていえば、作者がノコンギクでもヨメナでもなく、あえて「野菊」と表現しているのがいいのです。

 十代の少年と少女の淡い恋は、現実の厳しさにあって大人によって引き裂かれます。薄幸のまま亡くなった民子を、主人公の政夫は追憶します。

まことに民子は野菊の様な子であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。いや味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
                     (「野菊の墓岩波文庫

 民子を野菊にたとえることで、民子のイメージを鮮やかにし、そして野菊ということばもまた民子のイメージをまとって美しく読み手の心に残っていきます。
ノコンギクヨメナではなく「野菊」ということばだからこそ、読み手の想像は豊かにはたらくのです。

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            あぜ道に群れるノコンギクの花

 文部省唱歌に「野菊」という歌があります。音楽の時間にこの歌を歌った記憶が残っていて、この歌を聞くと、故郷の光景がうかんできます。フォト紀行「由布院花紀行」(海鳥社)を開いたら、同世代と思われる著者、高見乾司さんのことばに、「これほど野菊の風情を美しく表現したことばを私は知らない。(山路野菊)」とありました。

    野菊       (作詞:石森延男、作曲:下総皖一)       

 遠い山から 吹いて来る/小寒い風に ゆれながら
 けだかくきよく 匂う花/きれいな野菊 うすむらさきよ

 秋の日ざしを あびてとぶ/とんぼをかろく 休ませて
 しずかに咲いた 野辺の花/やさしい野菊 うすむらさきよ

 霜が降りても まけないで/野原や山に むれて咲き
 秋のなごりを おしむ花/あかるい野菊 うすむらさきよ

 この曲が音楽の教科書に載ったのは、日米開戦の翌年、1942年(昭和17)です。軍国主義が頂点に達し、教科書はすべて国定となって、音楽では「儀式唱歌」、つまり祝祭日に歌う『君が代』や『天長節』『紀元節』などの指導がなされていた時代でした。

「軟弱すぎる。もっと勇壮な歌にしろ!」と文部省の教材決定に立ち合った軍部担当者が石森延男(文部省教科書監修官でこの曲の作詞者)に詰め寄った。
「勇壮さは日本精神です。日本精神のアラミタマ(荒御魂)です。けれど、ニギミタマ(和御魂)もまた日本伝統の精神です。万葉集のニギミタマの心こそ、この『野菊』です」。必死な弁舌。何とか石森が粘り勝ちした。
 今も『野菊』に感慨を覚える世代がある。ものみな戦争へと走り出した時代、童謡や唱歌さえ戦争高揚が第一とされた時代にあって、戦争とは無縁の『野菊』にわずかな「救い」を、すがすがしさを感じ取った人たちだ。
 (「唱歌・童謡ものがたり」読売新聞文化部・岩波書店

 戦後もこの歌は歌い継がれて、経済成長優先、自然開発の道をまっしぐらに突き進むなか、人々がふと立ち止まり、自然を想い、野の花を想う心をよびもどす役割をはたしました。

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      ユウガギクの花は、白い花をたくさんつけて秋の野原を彩ります。

「野菊」ということばは、栽培種の「菊」と野生種を区別するために必要なことばでした。そのことばが、小説や唱歌にとりあげられ、俳句や短歌に詠まれ、そのたびに、本来の意味に加えて、秋の自然を彩る素朴で可憐な野趣に富む花のイメージを付与していったと思われます。
「ことば」は生きています。実態がなくなり、使われなければ消えていきます。野の花を想う人の心が「野菊」ということばに潤いを与えてきました。野の花が人の生活にとって不必要な雑草と思うようになれば、「野菊」ということばも、そのいのちを失っていくでしょう。
 日本の文学や歌によって育てられてきた「ことば」が、これからも新鮮なイメージを想起させることばとして残るかどうか。それは、自然と向き合う私たちのありかたにかかっているようです。(千)  

◇昨年9月の「季節のたより」紹介の草花