夕暮れに咲き出す花 目の前で見られる開花の瞬間
夕暮れが訪れると一斉に咲き出す黄色い花を見かけるようになりました。この花を見ると幼い頃の遠い記憶が浮かんできます。
夕暮れ、私は黄色い花が一面に咲く野原に立っていました。花のつぼみを眺めていたら、そのつぼみが少し膨らみ始めて、目の前でみるみるきれいな花になったのです。魔法を見ているようでした。あれが現実だったのか、それとも夢を見ていたのか、おぼろげな記憶で自信がありませんが、そのときの花が、マツヨイグサ、正確にはメマツヨイグサの花だということは、後になってから分かりました。
夕暮れになると咲き出すメマツユイグサの花
マツヨイグサは南米原産の一年草で、江戸時代に園芸品種として入ってきたときに「待宵草」と名づけられました。「待宵」とは「中秋の名月」の前日、旧暦8月14日の宵のことですが、待宵草は夏の花なので、日暮れて間もない頃の「宵」を待つように咲き出す花ということでその名がつけられました。名づけた人は花の生態をよく観察していたようです。
明治になると、マツヨイグサより花の大きいオオマツヨイグサが、鑑賞用として導入されます。その後にメマツヨイグサ、コマツヨイグサが帰化植物としてやってきて、それぞれが野生化して、河原や砂浜、鉄道路線沿い、耕作をやめた田畑のような場所に広がっていきました。
これらのマツヨイグサの花の仲間は、アカバネ科マツヨイグサ属に分類されます。マツヨイグサという場合、この中の一種の名前なのですが、一般的には、夕暮れに開花し黄色い花を咲かせるマツヨイグサ属の総称としても使われます。
オオマツヨイグサやマツヨイグサは、かつては日本のいたるところでその花を見ることができました。近年、農薬がその一因といわれていますが、急速にその数を減らしています。花の小さいコマツヨイグサは、海岸や浜辺で見られます。最も適応能力の高いのがメマツヨイグサです。空地や野原、都市近郊などの道路沿いなどに咲いているのは、メマツヨイグサの花です。
メマツヨイグサの「メ」は、メヒジバ、メヤブマオなどの「メ」(雌)と同じで、オオマツヨイグサより花が小さいので、そう呼ばれます。
メマツヨイグサのなかで、花びらと花びらの間に隙間が見られる花をアレチマツヨイグサと呼んでいましたが、二つは遺伝的に同じ種類とされ、最近の植物図鑑ではアレチマツヨイグサは、メマツヨイグサの別名とされています。
一息に咲こうとしているつぼみ 夜の闇にうかびあがる花
マツヨイグサの名が広く知られるようになったのは、明治末期から昭和にかけて、哀愁漂う美人画で人気を博した竹久夢二の、「宵待草」の歌の力が大きいでしょう。
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな
竹久夢二
この詩は 1913年(大正2年)に夢二の詩集「どんたく」に発表され、多忠亮(おおのただすけ)が作曲。その楽譜が出版されると、「宵待草」はまたたく間に全国に広がり愛唱されていったといいます。
宵待草は当時よく見られたオオマツヨイグサのことですが、夢二はマツヨイグサ(待宵草)を、ヨイマチグサ(宵待草)としています。これは夢二の誤記という人もいますが、夕暮れどきに鮮やかな黄色い花を開き、翌朝にはしぼんでしまう一夜の花に、恋しい人を待ちわびる思いを重ねて、「宵待草」と表現するのも悪くありません。ただし、図鑑では出てこない「和名」なので、注意は必要ですが。
田んぼのあぜ道のメマツヨイグサ。曇りの日は昼過ぎまで咲いているようです。
自然界の多くの花たちが日中に花を咲かせているのに、マツヨイグサの仲間はあえて夜に咲くという変わった生き方を選択しました。夜は競争相手の花は少なくなるので、夜に活動する虫たちを独り占めして呼び寄せようとしているのでしょう。
マツヨイグサの花は、1m近くなる茎に20~40個ほどの花をつけ、下から順番に咲いていきます。夕方に咲いた花は一夜かぎりで、朝にはしぼんでしまいます。そのために、花が開いているわずか数時間の間に、虫に花粉を運んでもらう工夫をしています。
黄色い花は暗い中でも鮮やかに浮かび上がるので、虫たちのめじるしになります。視界がわるくても花の匂いを遠くまで届かせて、虫たちを誘います。その効果があって、マツヨイグサやオオマツヨイグサの花には大型のスズメガの仲間がやってくることが観察されています。
メマツヨイグサの花を観察してみると、ヤガ(夜蛾)やハナバチの仲間がよくやってきます。ハナバチが蜜を吸って花から離れようとするとき、おもしろいことが起きました。おしべから出る黄色い花粉がねばって、糸引き納豆のようにハチに絡みつくのです。花粉どうしがネバネバした粘着糸でつながっていて、もがけばもがくほどハチの口や頭にくっつき、ハナバチは花粉まみれです。ハナバチはそのまま次の花へ飛んでいきました。これは、1度にたくさんの花粉を確実に運んでもらおうとする花のしかけです。
花のめしべも先端が4つに長く裂けた大型船の錨のような形で突き出ていて、広い範囲で大量の花粉を受け取りやすいようにしています。
先端に突き出しているのはめしべの先 花粉まみれになったハナバチ
メマツヨイグサの花が受粉を終えるとしぼんで、 1日2日たつとぽとりと落ちてしまいます。花のあとに円筒形の果実が一つできます。その果実が熟すと、先端が裂けて、ちょうどバナナの皮をむいたように開きます。強い風で揺られるなどすると、中に入っていた多数の種子が飛び出すようになっています。
受粉を終えた花 青い果実 先が開く熟した果実
飛び出した種子は、翌年に芽生えて、葉を円形に広げてロゼットの姿でその冬を越します。冬の寒さで葉も赤くなるので、上からみると花のような形に見えます。冬の寒さで古い葉は枯れてロゼットも小さくなりますが、3月頃から勢いを増し、新しい葉を次々と出します。茎も立ち上がり、長くのびて初夏に花を咲かせる準備をするのです。
冬越しのロゼットの姿 春から茎が長く伸びて、初夏に開花
マツヨイグサの仲間は、通称「月見草」とも呼ばれるのは、黄色い花が満月の色を連想させるからでしょう。その名を有名にしたのは、太宰治の短編「富嶽百景」にある “ 富士には、月見草がよく似合う ” の一節です。
この作品は、都会で荒んだ生活を送っていた「私」が、富士のふもとにある御坂峠の茶屋に滞在して様々な人と出会い、人の温かさや善意・好意に触れながら再生していく「私」の、その心を、そびえる富士の姿の表情に象徴させて描いています。
「月見草」の一節は、バスの中で居合わせたお婆さんとの場面に出てきます。
老婆も何かしら、私に安心していたところがあつたのだろう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
そう言って、細い指でもって、路傍の一か所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八メートル富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。
(太宰治「富嶽百景 走れメロス」・岩波文庫)
微塵もゆるがず、すっくと立って、あたかも「富士山」と対峙しているかのように咲いている月見草に共鳴した「私」は、月見草の種を両の手のひらにいっぱいとって来て、茶店の背戸に播いて、茶屋の娘さんに、「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちゃいけないよ。」と語ります。月見草は静かに再生していく「私」の心の象徴です。
このとき「私」が見た「月見草」の花は「黄金色」の「花弁」なので、マツヨイグサの仲間です。しかも富士と相対峙しているとなれば、ふさわしいのはオオマツヨイグサでしょう。実際に、当時太宰が訪れた御坂峠周辺にはオオマツヨイグサがよく咲いていたそうです。
本当のツキミソウ(月見草)は、メキシコ原産の白い花を咲かせる花です。江戸時代に鑑賞用として渡来し、夕方の咲き始めは白色で、翌朝のしぼむ頃には薄い桃色に染まります。日本の土地には馴染まず、野生化することもなかったので野外で見ることはできません。
一方、同じく異国からやってきた黄色い花は、「待宵草」や「宵待草」、「月見草」という名で呼ばれることで、ずっと昔からあった花のように日本の自然に馴染んで、 日本の夏の風景を彩る花の一つになっています。
帰化植物ですが、今はすっかり日本の風景に馴染んでいます。
ところで、私が幼い頃に目の前で見たマツヨイグサの開花の瞬間は、夢ではありませんでした。
「マツヨイグサは、夕暮れになると一斉に咲き出す。パラボラアンテナのように折りたたまれた花を、肉眼でもわかるスピードで連続写真のように開くのだ。」とありました。(稲垣栄洋「身近な雑草の愉快な生き方」・ちくま文庫)
実際の開花の瞬間を撮影した動画も見つけました。オオマツヨイグサやメマツヨイグサは、10秒ほどから1分以内に開花しているのです。撮影したキャンプ場で、一緒に見たこどもたちからは、開花の瞬間に拍手が沸き起こったそうです。
その開花の瞬間を確かめたくて、つぼみのついたメマツヨイグサを切ってきてバケツに入れ、毎度夕暮れに眺めています。でも、まだその瞬間に出会うことができないでいます。夜遅くにはいつの間にか咲いているのですが、野外と屋内の環境の違いや、その日の天候や気温も微妙に関係しているのかもしれません。
マツヨイグサの仲間は、初夏から秋にかけて長い期間花を咲かせるので、しばらくは夕暮れにつぼみをながめて散歩してみることにします。
自然のいのちの営みの神秘さを目で見て感じる感動は、知識や映像などでは決して得ることのできないものですから。(千)
◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花