つり下がるユニークな花、飛び散る種子
ほの暗い林の中、小川のほとりで紅紫色の花が一面に咲いていました。この花を見ると夏の終わりを感じます。郊外学習で、こどもたちがこの花を見つけて、「金魚が泳いでいるよう」「ほら貝のようだ」「宇宙船がゆれている」とおしゃべり。いろんな想像をさせてくれるユニークな形の花です。花の名は「ツリフネソウ」です。
水辺にゆれるツリフネソウの花。何の形に見えるでしょうか。
ツリフネソウは、ツリフネソウ科の一年草で、熱帯アジアが原産。日本では、北海道や本州/九州/四国などの山麓の湿地に自生しています。花の時期は夏から秋。山地なら8月ごろ、低地なら9月から10月頃まで見ることができます。
花の名の由来は、花が帆掛け船を吊り下げた形だからということ。でも、どう見ても、帆掛け舟には見えないと思っていたら、もう一つの説があって、生け花で使われる「つりふね」という吊り下げる花器に見立てたというもの。こちらの方が素直に納得できそうです。
図鑑では漢字で「釣舟草」か「吊舟草」と表記されていますが、多いのは「釣舟草」の方。「釣る」は魚をつる、エサや金で誘惑してつるという意味合いなので、「ぶら下げる」の意味なら、「吊る」ということになるでしょう。「釣舟草」では、魚釣りの人が乗っている「釣り船」と思ってしまいそうです。別名に「ホラガイソウ」というのもありました。こどもたちの発想と同じでした。
ツリフネソウの独特の花の姿は、形の異なる5枚の花びらでできています。目立つのが、下のガク片の袋状になっているところです。先端にくるりと巻いているところが距(きょ)で、ここにたっぷり蜜が分泌されています。
5枚の花びらが作る独特の花の形。奥に雄しべが見えます。
袋状にふくらんでいる下のガク片。先端で巻いているのが距です。
この独特のユニークな花の形は、じつは受粉と深く関係しているのです。
ツリフネソウの蜜は、花の奥の袋の中に潜りこめて、長い口を持つ昆虫でないと得ることができません。アブやハエなど、いろんな虫が羽音をたて飛び回っていますが、しきりに花に出入りしているのはマルハナバチの仲間でした。
マルハナバチは、体の大きさが花の奥の袋のサイズにぴったり、それに舌も長いので悠々と蜜をもらえるのです。上の花びらのかげには雄しべが待ち構えていて、マルハナバチの頭や背中に花粉をつけます。マルハナバチは、花粉まみれになって、次の花へと移動するので、そのとき受粉が行われます。
ツリフネソウは、花粉を運んでくれるパートナーに、マルハナバチを選んでいるのでした。独特の花の形は、ツリフネソウがマルハナバチに合わせて花の形や大きさを進化させてきた結果だと考えられています。ほかの昆虫がきても蜜を盗まれないようにしているわけですが、それでも、スズメガの仲間は、ホバリングしながら長い舌で蜜を吸い取ろうとし、体がデカすぎて花に潜り込めないクマバチは、外から距をかみ切って蜜を盗んでいきます。いつも思惑どおりにいかないところが自然の営みなのです。
ツリフネソウの姉妹のような花がキツリフネです。山地の水辺を好むので同じ環境で一緒によく生えています。
ツリフネソウの中に咲く、キツリフネ
ツリフネソウとキツリフネは、花の形は似ていますが、紅紫と黄の色の違いで区別がつきます。ほかに、花の後ろの距がクルンと巻いているのがツリフネソウで、巻かずに垂れているのがキツリフネです。ツリフネソウは葉の上に花をつけますが、キツリフネは葉の下に花を咲かせています。
葉の上に花をつけるツリフネソウ 葉の下に花をつけるキツリフネ
おもしろいのは、受粉の仕方の違いです。ツリフネソウは、5本の雄しべが合着し、その中に雌しべが包み込まれていますが、自家受粉を避けるために、雄しべが先に花粉を出し、役目を終えた後から雌しべの柱頭が出てきて受粉します。一方、キツリフネは、花を咲かせて受粉する開放花(かいほうか)と、つぼみのまま自家受粉する閉鎖花(へいさか)を持っていて、両方で種子をつくります。命をつなぐそれぞれの知恵でしょうが、さてどちらが生き残りに有利でしょうか。ツリフネソウとキツリフネは似ているようで違っていて、独特の個性が見えてきます。
ツリフネソウの熟した実をそっとさわるとぱちぱち種子が飛び散りました。少しの刺激でも破裂して種子が飛びだします。昔ホウセンカの実をつまんで、はじかせて遊んだことを思い出しました。そういえば、ホウセンカもツリフネソウ科です。
ツリフネソウの学名は「Impatiens textori」。キツリフネの学名は「Impatiens noli-tangere」。同じ属名の「Impatiens」(インパチエンス)は、”こらえきれない””我慢できない”という意味。キツリフネの種名の「noli-tangere」(ノリ タンゲーレ)は、“私に触らないで”という意味です。そして、ツリフネソウの英名がTouch-me-notというのですから、どれも機知あふれる学名や名前です。それだけ、種子の飛び方が印象的だということなのでしょう。
ツリフネソウの実ができています。 触ると破裂しそうです。
カラスノエンドウの実は、乾燥したさやのねじれる力で種子をはじき飛ばしますが、ツリフネソウの実は熟すと緑のさやが水を含んで膨張し耐え切れずに爆発、そのエネルギーで種子をはじき飛ばします。種子の散布の仕方も花によって異なる自然の巧みなしかけに驚いてしまいます。
ツリフネソウの飛び出る種子の威力を、実際に目にした人がいました。自然界でめったに起こりえない偶然を目撃したのは、植物写真家の埴沙萌さん。
たねが成熟すると、実のさや(果皮)が、とつぜんにはじけてたねをとばす。ちょうどとんできたアブの目に、ツリフネソウのたねが命中して、ついらくしたことがあった。 埴沙萌「植物記」(福音館書店)
大型写真集「植物記」の中の、たねの「ジャンピング」の写真に添えてあったエピソードです。
アブにとって災難でしたが、この爆発は、植物が種子をできるだけ遠くへとばして、仲間をふやそうとする命の営みです。
この爆発のエネルギーを、別の目的に使用したのが人間でした。全世界で約1億1千万個も埋められているという地雷の暴発で、どれだけ多くの命が失われていることでしょう。原爆、水爆による核爆発は、「いのち」あるもののすべてを殺戮するもの。これらは、自然界の生きものたちの生きる知恵にはないものです。
人間は進歩に進歩をかさねているうちに自分のつくった文明といわれるものの洪水のために、いつかおぼれ死にさせられる日が来るのではないかと思われてならない。 (「ファーブル 昆虫と暮らして」林達夫編訳 岩波書店)
共存して咲くツリフネソウとキツリフネの群落
地球という自然環境が奇跡的に生み出した「いのち」。その「いのち」を永遠につなごうとして、植物たちは、花の色や形、葉や根のしくみ、種子の散布のしかたなどを進化させてきました。植物に限らず、自然界の生きものたちは、どんな過酷な環境でも、知恵を働かせて「いのち」を未来につなごうとしています。
「昆虫記」の作者、ファーブルは、自然界の生きものの仲間である人間が、自然界の生きものたちとは全く反対の生き方を選んでいることを、100年前に警告していたのでした。(千)
◆昨年9月「季節のたより」紹介の草花