mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

今年最後の3連休は、映画ざんまい

 今年最後の3連休は、映画の世界を堪能しました。初日は仙台フォーラムで上映が始まったばかりの「十年」を鑑賞し、中日は「ハッピーアワー」や「寝ても覚めても」などで注目の映画監督・濱口竜介さんによる映画講座に参加しました。

 映画「十年」は、香港で大ヒットしたオムニバス映画「十年」の日本版として、10年後の日本を題材に5人の若手監督(早川千絵さん、木下雄介さん、津野愛さん、藤村明世さん、石川慶さん)がメガホンを取ったオムニバス作品です。ちなみに総合監修は、是枝さんが務めています。この日は、5人の監督のうち津野さん、藤村さん、石川さんの3人の監督さんが舞台挨拶にいらっしゃいました。監督の石川さんは、東北大学の物理学科を卒業されているとのことでした。

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 内容を少しだけ紹介すると「PLAN75」(早川監督)は75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度、「いたずら同盟」(木下監督)はAIによる近未来の学校教育の姿、「DATE」(津野監督)は情報化社会における記録と記憶をめぐって、「その空気は見えない」(藤村監督)は原発による大気汚染から地下生活を余儀なくされた子どもの思い、「美しい国」(石川監督)は徴兵制が導入された日本について、それぞれ描いています。どれも絵空事と片付けられない今の日本の現実が感じられ、映画を観た後にいろいろ考えさせられました。決して明るい日本の未来を描いてはいませんが、ぜひ冬休みに観に行ってはいかがでしょうか。

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 中日に行われた「濱口竜介による映画講座」は、「他なる映画と」と題するシリーズの3回目。今回は「映画の、演技と演出について」がテーマでした。講座は、小津安二郎『晩春』、溝口健二近松物語』、黒沢清『CURE』などの作品をもとにしての話でしたが、とてもおもしろく刺激的でした。

 例えば、小津安二郎の『晩春』では、シナリオと映像を交えながら原節子が演じる紀子の台詞の語尾が「よ」なのか、「の」なのか、「わ」なのかで、明らかに演技が異なっているというのです。台詞の語尾の違いが、原節子の演技を導いていると言えそうです。映像をまじえているという点は異なりますが、国語の学習会で助詞の勉強をしているような気になってきました。

 さらに、講座の終盤で濱口さんが話題にされた『ジャン・ルノワールの演技指導』は、もっと刺激的でした(ちなみに映画監督のジャン・ルノワールさんは、あの画家のルノワールさんの次男坊なんだって、知らなかったなあ)。
 濱口さんが見せてくれたのは、映画監督のジャン・ルノワールが女優と差しで脚本の本読みを(指導)している場面です。そこで監督は女優に次のように求めます。

「一切感情を入れずに読むんだ。最初に台詞を読む時、感情を入れたらどうなる?(・・・)紋切り型になりどこかで見たようなマンネリの表現になる可能性がある。すでに試された使い古しの表現だ。(・・・)我々が目指すべきは、台詞を通して君とエミリーが結びつくこと。先入観を排して初めて結びつくことができる。既存の人物像から真のエミリーは見つけ出せん。それを見つけるのが我々の仕事だ。1本の映画を作る際、俳優と監督がすべての役をそうやって見つければ、名作が生まれる。従来の人物と違う独自の(固有の)役になるからだ。それこそが真の創造というものだ。」

「電話帳を読むように文字を読む。いかなる感情も交えず、ひたすら棒読みをするんだ。すると徐々に心が開き、精神が目覚めて、感情が沸き上がる。そして優れた俳優にはある瞬間が訪れる。火花が散って、突然人物が浮かび上がるんだ。

 講師の濱口さんが映像を見ながらたぶん書き起こした文章なのですが、聞きながら心と身体が震撼しました(太字の部分しびれます)。と同時に、その言葉に導かれるように頭に浮かんだのは、保育園や幼稚園、あるいは小学校の授業などで、先生が子どもたちに感情豊かに、イメージを喚起するように絵本や物語を読み聞かせている場面です。演技指導と、子育て教育の場面を同列で論じることには無理があるでしょう。しかし、教師が子どもたちに作品をどう手渡し・出会わせるのか、また授業を通じてどのような火花を散らそうと考えるのか。ジャン・ルノワール監督の言葉は、知っていてよいことだろうと思いました。(キヨ)