貧栄養の湿地に生きる 特殊な進化をした食虫植物
モウセンゴケは、もっとも身近に見られる食虫植物です。モウセン(毛氈)とは、羊毛などのけものの毛を原料に織物風に仕上げた敷物のこと。湿地に生えて赤く色づき群生する様子が、ひな壇などに敷きつめられる赤い毛氈のように見えることからモウセンゴケ(毛氈苔)と名づけられました。
山歩きをしていると、日当たりのいいミズゴケの生えている湿地でよくモウセンゴケの群生に出会います。私は、最初、その名のとおりこれはコケの仲間と思っていました。ある時、モウセンゴケの上に伸びている渦巻状のものを見つけ、その先端のふくらみが、もしかすると花のつぼみなのかもと思ったのです。
湿地のミズゴケの上に生えるモウセンゴケ これ何?
数週間後に再度その湿地を尋ねてみました。渦巻き状のものは直立に伸びていて、その先に数個のつぼみがついていました。小さなつぼみはふくらみ、その一つが花を咲かせていたのです。5枚の花びらを持つ小さな純白の花でした。
モウセンゴケは胞子で増えるコケの仲間ではなく、立派に花を咲かせて種子を作る種子植物でした。
調べてみると、モウセンゴケの花期は、県内では6月から8月。平地では早く咲き、高山では遅く、場所によってかなりの幅があるようです。
直立する花茎 ふくらむつぼみと花 モウセンゴケの花の姿
植物の和名には、コケでないのにコケの名がついたり、ランの花でないのにランの名がついたりと紛らわしいのが多くあります。これまでの命名が外見の姿や形など見た目重視の方法でなされ、科レベル、目レベルがまったく違うものも、 同じ仲間のように " 分類 " されていたからでしょう。現在では DNA などを利用した分類が主流になり、それまで同じ仲間だと思われてきた植物が別のグループに属していることがわかっています。でも、いったん命名された名はそのままなので、コケやランののついたものも、紛らわしさは残ったままです。同じ仲間かどうかは、図鑑を見て確かめるようにしたいものです。
モウセンゴケの葉は、ご飯をすくうシャモジのよう。表面には腺毛が密生。
モウセンゴケの特徴は、なんといってもその葉の表面にびっしりと赤い色の腺毛が生えていることでしょう。この毛の先端は球状になっていて、光が当たると美しく輝きます。輝いて見えるのは先端から粘液が出ているからで、じつはこの粘液は虫たちを捕まえるための罠でもあるのです。
モウセンゴケの虫を捕まえる仕組みは繊細でありながら、かつダイナミックです。白い花や粘液の輝きにおびき寄せられた虫や、たまたまそこを休み場としていた虫が、葉の表面の腺毛にふれると、触れた刺激によって、腺毛が動き出して、虫の体を押さえ込むように巻きつきます。チョウやハチ、ハエ、ガガンボなど、昆虫ならなんでも捕まえるようです。モウセンゴケの群生地で、アキアカネが捕まっている姿を見たときは、敏捷なはずのトンボも捕まるのかと驚いたものです。
捕まった虫たちが逃げようともがくと、モウセンゴケの腺毛は、その先から消化液を出します。消化液は酸性で、タンパク質を分解する消化酵素などが含まれていて、虫の体に浸透し溶かしてしまうということ。虫を溶かして、その腺毛から分解物を吸収し、自身の栄養にするのだそうです。
アキアカネが捕まっています。(よく見ると、2匹捕まっています。)
モウセンゴケの学名はDrosera rotundifolia L.です。属名のDrosera(ドロセラ)は、ギリシア語のdrososが語源で「露」を意味するのだそうです。
動植物の学名は「属名+種小名」の2語のラテン語で表します。これまでばらばらだった生物の名称を二名法で書くことを提唱したのが、18世紀のスウェーデンの植物学者、カール・フォン・リンネでした。この業績によって、リンネは「生物分類学の父」と呼ばれています。
動植物の命名者は、「種小名」の後に記されますが、たった一文字の略称が使用できるのはリンネのL.のみです。学名の最後尾にL.とあれば、リンネが命名したもの。モウセンゴケ(Drosera rotundifolia L.)の命名はリンネであることがわかります。
ところで、このリンネですが、食虫植物といわれる植物が昆虫を食べるという考え方を一切受け入れませんでした。モウセンゴケと同じ食虫植物であるハエトリグサに関しては、「神が決めた自然の秩序に反する」とし、捕虫は単なる偶然で、虫がもがくのをやめれば、葉を開いて虫を逃がしてやるはずだと結論づけたといいます。(「ナショナル ジオグラフィック」マガジン2010年3月号・ 特集:食虫植物 魔性のわな )
日当たりのいい場所で、白い花が次々と咲き出しています。
一方、「種の起源」を著し、「進化論の父」と呼ばれるチャールズ・ダーウィンは、“ 肉食 ” の植物に強い興味を抱きました。彼の有名な著書「食虫植物」をまとめるきっかけになったのがモウセンゴケ(Drosera)との出会いでした。
ダーウィンは、自伝でその時の様子を次のように語っています。
1860年の夏に、私はハートフィールドの近くを散歩して休息していた。そのあたりには、二種のモウセンゴケDroseraがおびただしく生えていた。私は、たくさんの昆虫がその葉に捕えられているのに気がついた。私は何本か家にもって帰り、昆虫を与えながら触毛の運動を見た。そうしたところ、私には昆虫が何か特殊な目的のためにとらえられていることがほんとうらしく思われてきた。幸いにも私は決定的なテストを思いついた。それは、非常に多数の葉を同じ濃度のいろいろな窒素を含む液体、および窒素を含まない液体に入れておくことだった。前者だけが強力な運動をおこさせることが見られたので、すぐ、ここに研究のためのすばらしい新領域のあることが明らかになった。
つづく何年か、暇のあるときはいつでも、私は実験をつづけた。
(チャールズ・ダーウィン著・八杉龍一・江上生子訳「ダーウィン自伝」第8章・ちくま学芸文庫p.164)
同年の11月、ダーウィンは、知人のライエルへあてた手紙に「この世のすべての種の起源よりもモウセンゴケが気がかりです。」とその思いを書き送っています。
ダーウィンは何カ月もかけて、モウセンゴケを使って実験を続けました。
「ハエを葉に落とし、粘液の付いた毛が獲物をゆっくり包んでいくのを観察した。生肉や髪の毛ほどの重さで刺激を与えるだけでも葉が反応する一方、水滴の場合は、いくら高い場所から落としてもまったく反応しないことも突き止めた。雨粒にいちいち反応するのは、モウセンゴケにとって『大きな害』」になる、とダーウィンは考えた。この反応は偶然ではない。適応なのだ、と。」(「ナショナル ジオグラフィック」マガジン・同)
その後、ダーウィンは長い年月をかけて、モウセンゴケの研究を他の食虫植物の種まで広げ、その成果を1875年に著書「食虫植物」にまとめあげたのでした。
下向きのつぼみ 上向きに咲く花 花のあとの実 種子は実のなかに
モウセンゴケは、葉緑素を持っていて光合成を行い、花を咲かせて種で増える種子植物です。自ら栄養を作り出せる力をもちながら、どうして虫を捕らえる必要があるのでしょうか。
モウセンゴケは、他の植物との競争相手の少ない生息地を求め、湿地や沼地を選択しました。けれどもそこは、土壌の酸性度が高く、植物の生育に必要な栄養素の不足する「不毛の地」でした。普通の植物にはとても厳しく生きのびられない環境にあって、モウセンゴケは、本来植物に必要な窒素やリン酸などの栄養を、虫から取り込もうとしたのです。モウセンゴケは光合成を行っている葉を、さらに高い捕虫能力を持つ葉に進化をさせて、生きのびてきたのでした。
その進化の謎を解明しようと、今も多くの研究者が取り組んでいます。
葉はロゼット状に広がります。 葉を立ち上げて、虫たちを誘います。
モウセンゴケは日本全国に自生していますが、個体数が年々激減、多数の都道府県ではレッドリストの絶滅危惧類に指定されています。
食虫植物ということもあって、湿地からの大量盗掘も多いといいます。湿地という特殊な生態系に適応しているモウセンゴケは、極端に酸性な土壌を好むほかにも、混じりけのない水しか受けつけず、純水、蒸留水、または雨水以外の水を与えると弱ってしまうそうです。もとの環境をそっくりそのまま再現して育てるのは難しく、自生地から持ち去っても枯らしてしまうことになるでしょう。
モウセンゴケは日かげが苦手。日当たりのいい地ほどよく育ち、赤く染まります。
モウセンゴケの育つ湿地の環境も大きく変化しています。農地からの排水や、家庭や工場、発電所などからの汚染水が湿地に流れこみ、大量の窒素を供給しています。窒素の多い湿地になれば、他の低木や草が繁茂しモウセンゴケを覆うようになるでしょう。日光が当たりにくくなり、競争力の高い植物には対抗できなくなります。窒素の乏しい特殊な環境に適応して繁栄してきたモウセンゴケは、その特殊さゆえに環境の変化の影響をもろに受けてしまうのです。
個体数減少の大きな要因として、湿地や沼地の開発があげられます。湿地は多様な動植物にとっては生育・生息の場となり、水質源を貯えたり、水質を浄化したりするなど人間の暮らしを支えています。でも、人はしばしば湿地を不用の地とみなし、水を抜いたり、埋め立てたり、何か別の用途に使ったりすべき場所と考えてしまうようです。湿地がこのまま減少を続ければ、湿地に特化して生きてきたモウセンゴケは、いのちをつなぐことができないでしょう。
ダーウィンを魅了したモウセンゴケは、これから育つ子どもたちの興味や関心をひきおこし、いのちの持つ不思議さを感じさせてくれるはずです。不思議な進化をとげてきた、モウセンゴケという食虫植物が、かつてこの地上に存在していたということにはならないようにと願うばかりです。(千)
◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花