mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

今も昔も ~マキアヴェリの『君主論』から、ずっと~

  新型コロナウィルス感染防止もあって、休日は家に籠もって、書棚から懐かしい本を引っ張り出し、読み直しをするのが日課になってしまった。その書棚の中に、このコーナーの発起人である<春>さんに薦められたり、<春>さんが引用や抜き書きした文から興味をそそられて買い求めたものが、結構多く並んでいる。最近選んだのもそのような経過で求めた一冊。1978年発行の岩波新書『一月一話ー読書こぼればなし』。著者は淮陰生。これは英文学者で評論家でもある中野好夫ペンネーム。元々は岩波書店のPR誌『図書』に1970年から毎月連載された102回分をまとめたものである。
 そして今回読んだのは、1973年5月号に掲載された「いわんや悪人をや?」の見出しがついているページ。面白いので冒頭の部分だけ抜いて紹介したいと思います。

マキアヴェリの「君主論」第18節、「いかにして君主は信義を守らねばならぬか」を読むと、教皇ボルジア(アレッサンドロ6世)を評した次のような一節がある。
「彼は人々をだますこと、そしてまた、どうすればそれができるかという、そのことだけしか考えていなかった。彼ほどふんだんに保証をばらまき、また彼ほどよくその約束の実行を強く宣言した人間もいないが、同時にまた彼ほどそれを守らなかった人間もいない。そのくせ、彼は常に欺瞞に成功しているのだが、おそらくそれは彼がこうした人間の一面について、実によく知っていたからであろう」というのだ。>
 さらに読み進めると、<これを読むと、どうやらそんな昔の話ではないような気もする。公約くらいはいくらでもする。小骨一本抜かぬなどと宣言はするが、あとはもうアジャラパーでうじゃじゃけてしまうのは、どこかそこいらの政界、財界などの大立者とやらに、いくらでもいそうであり、それで位は人臣をきわめるというのはそのままである>と続くのです。

 マキアヴェリが「君主論」を書いたのは1532年。そして淮陰生が連載の中でこの文を書いたのは1973年5月号。ちなみに年表をみると、1972年6月に当時通産大臣であった田中角栄が「日本列島改造論」を発表し、佐藤栄作内閣が総辞職し7月に田中内閣が発足している。
 君主論発表から488年、淮陰生が『図書』連載でこの文を表してから47年。時を経て、今、私たちの国のトップに居座る方の話かと思うのですが、私だけかな?
                                                                                                               <仁>