mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

“ お帰り寅さん ” 暴走・妄想考

 先日、『男はつらいよ』の助監督をし、また『しあわせ家族計画』の監督もされた阿部勉さんを囲んでの大新年会があった。翌日、その勢いをかりて『男はつらいよ お帰り寅さん』を改めて見に映画館に足を運んだ。

 “ 改めて ” と言うように今回が2回目。1回目は、あの『福島は語る』を見た後に続けて行ったのだ。『福島は語る』の内容に圧倒されたまま行ってしまったのがよくなかった。じっくり映画に入り込むことができなかった。それでも十分楽しんだのだが、冒頭に記した阿部勉監督を囲んでのみなさんの話を改めて聞いて、もう一度見に行ってみようという気になったのだった。

 映画の時代設定は現代。サラリーマンを辞めて小説家の道を歩み出した寅の甥っ子(妹さくらの息子)である満男(吉岡秀隆)と、彼の初恋の女性イズミ(後藤久美子)の思わぬ再会と、その再会で生じる出来事とそれぞれの想いを織り込みながら映画は展開していく。寅さんは、それぞれの人生をすでに歩み出している2人に伴走する形で登場する。

 この作品について開口一番に言わなければならないのは、まさにこれまでの寅さんシリーズ49作がなければできない稀有な、そして不思議な作品だということ。
 寅さんシリーズについてはマンネリズムの、娯楽・喜劇映画に過ぎないという見方もあるようだ。そうかもしれない。しかし、だから何なのだと言いたくもなる。それでは駄目なのだろうか。大事なのは、寅さんシリーズが観る人の多くを魅了し、また飽きもせず愛され続けてきたという事実ではないだろうか。寅さんのマンネリズム、その喜劇のなかに観客は何を求め、何を感じ、何を観てきたのか。そのことの方がとても大切なことのように思う。

 映画では、寅さんシリーズ49作でマドンナを演じた日本映画界・芸能界を代表する女優たちと寅さんとのワンシーン、ワンシーンが走馬灯のように出てくる。まるで戦後日本映画の歴史絵巻を寅さんシリーズを通じて見ているような気分になった。

 またこの場面が、映画『ニューシネマ・パラダイス』でキスシーンだけを集めた画が次々にスクリーンに登場するシーンともオーバーラップして見えてくる。山田監督の『ニューシネマ・パラダイス』へのオマージュとも、あるいは映画愛とも取れる場面だと思った。そんなこんなを妄想しているうちに、こちらも次第に胸が熱くなるのだった。

 一方で、どうしてこうしたのだろう? と思う場面も。それは満男とイズミの飛行場での別れの一場だ。満男は、7年前に妻を亡くし娘のユリと二人暮らし。そのことを両親に、イズミには知らせないでくれと口止めをする。嫌いで別れたわけではない二人の、それぞれの淡く切ない思いも含めた複雑な思いがあってのことだろう。しかし最後の最後、飛行場での別れの場面で、満男はそのことを自ら打ち明けてしまう。しかも満男とイズミはかたく抱擁するのだ。正確を記すならば、満男の告白を受けてイズミの方が歩み寄る形ではあるものの・・・、満男は明らかに一線を越えてしまうのであった・・・。

 寅さんだったら、そういう満男を見てどう言うだろう?「満男!それを言っちゃおしまいよ。男というのは身の引き際が肝心だぞ。お前はイズミちゃんのことをどれだけ考えたんだ。」と、そう叱りつけるのではないだろうか。しかし2回見て、そうではないかもしれない、とも思った。というのは映画の中で、過去の作品に描かれている、例えば浪人中の身にもかかわらずバイクを飛ばしイズミに会い来た満男を快く思わないイズミの叔父に、寅さんが「満男をほめてやりたい」(第42作)と意見する場面や、《想っているだけでは駄目で、その気持ちを伝えなくちゃ》とけしかけるような場面がさりげなく挿入されているからだ。いつも肝心のところで身を引いてしまう自分の弱さ、ダメさ加減をよく知っている寅だからこそ「よくやった満男!」《フレ~、フレ~、み~つ~お~》と応援するかもしれない。それでいいのだろうか? どっちなの寅さん?、いや山田監督?

 山田監督は、寅を敬愛しつつも自立した(寅を越えた)、成長した一人の男として満男を描き出したかったのだろうか。もしかすると、男女関係については控えめな山田監督の新境地?として、夫もあり子どももいるイズミと満男の新たな物語を考えているのかもしれない。さりとて、それは恐ろしいことだ。そのような展開を山田監督が本気で考えているとするなら、どんな話になって行ってしまうのだろう。怖いけれど、わくわくする。寅を超える満男、新たなミツオが生まれるのかもしれない。

 今や暴走族なみに、私のなかの妄想族の勢いはとどまるところを知らない状況へと陥りつつあるが、きっと山田監督は、私のような馬鹿なことは考えていないとも思われる。映画の最後で、満男の娘ユリは《パパ、お帰りなさい。ここ数日のパパはどこか遠くに行っているようだったわ》と言わせるからだ。つまり満男は旅に行っていた、夢を見ていたと言うのだ。

 寅さんファンの一人としては、この旅(夢)は、今後も続いてほしいと思うのだが。それはかなわぬ夢なのだろうか。
 今後益々の山田監督の活躍を期待して、ここらへんで勝手気ままな寅さん妄想考を終わります。( キヨ )

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