mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

“ 学がある人は違うな ” ~山極さん高校生公開授業~

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 1月25日(土)開催の山極寿一さん高校生公開授業は、無事終わりました。どんな授業だったのだろうと、関心を持っているみなさんもいるかと思います。公開授業については、次号『 センターつうしん98号』で報告する予定です。もうしばらくお待ちください。

 高校生たちの感想にざっと目を通して読むかぎり、生徒のみなさんは山極さんから多くの刺激を受け、いろいろなことを自分自身や今の社会のあり方に引き付けて考えてくれたようです。また参観いただいたみなさんも、授業の内容に満足いただけたことが感想の文面や、あるいは帰りの表情からも感じました。主催者として、ほっとしております。以下は、正さんとの公開授業を終えての一コマです。

 少し前のことですが正さんと昼飯を食べながら、今回の高校生公開授業について話になりました。そこで話題に上がったのは、ある生徒の感想でした。その生徒は、感想で山極さんを評し「学がある人は違うなと思いました」と書いたのです。

 正さんは、《学があるかあ、この生徒はどんなことを感じて「学がある」という言葉を使ったんだろう?》というのです。考えてみると、“ 学がある ” という言い方そのものが、最近ではほとんど使うことも、聞くこともなくなりました。またその言葉の響きは、ある種の懐かしさと趣を感じさせもします。今の子たちが山極さんのような研究者を評するなら “ 偉い人 ” とか、 “ 頭のいい人 ”とか、そんなところが一般的ではないでしょうか。

 正さんは《きっと、山極さんはこの生徒の近くにいる大人たちとは違ったんだな。親や先生や周りにいるこれまでに接してきた大人とはきっと違うんだよ。別格だったんじゃないかなあ。それだから「学がある」だったんだと、俺は思うな》と言います。
 なるほど生徒は、山極さんから頭がいいとか、偉いとかそういうこととはまったく違う、もっと人間としての深さのような何かを感じたのかもしれません。言い方を変えると、この生徒は、山極さんを通じて、これまでとはまったく異なる学びの経験をしたということかもしれません。本当のところは生徒本人に聞いて見なくてはわからないことですが・・・。

 そんなことを生徒の感想から感じながら、次回も(この)高校生たちが参加してくれるようなものをつくりたいと思うのでした。( キヨ )