mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『福島は語る』は、すごい映画だ!

 1月の3連休初日は、福島の原発事故による被災者の今をとらえ追ったドキュメンタリー映画『福島は語る』を観た。

 映画は「第1章・避難」に始まり、「第2章・仮設住宅」「第3章・悲憤」「第4章・農業」「第5章・学校」「第6章・抵抗」「第7章・喪失」、そして「最終章・故郷」というテーマ構成になっており、14名の被災者一人ひとりが監督の土井さんを前に、今の自分たちの生活と思いを淡々と静かに語る映像が続く。作品のつくりは非常にシンプルな構成と内容だ。その一方で、上映時間はなんと170分。多くのドキュメンタリー作品が90分前後であることを考えると、その2倍弱という長さは破格である。人によっては、この長さだけで《飽きてしまうのではないか》《寝てはしまわないか》《時間がもったいない》などと行くことを躊躇するかもしれない。しかし、その心配は杞憂に終わる。

 あの日から、もうすぐ9年が経とうとしている。その月日が、確実にあの日を過去の事へと変換し、記憶から忘却させていく。人はそうして生きている。そうしなければ生きていけないのかもしれない。しかし、未だあの日を過去にできない人たちがいる。あの日から時が止まったままの人たちがいる。

 県外に避難した人、どこにも行けず仮設で暮らす人、補償金をもらっているだろと言われ傷つく人、子どもたちに寄り添う人、立ち上がり声あげる人、先祖代々の田畑を耕すことを決意した人、家も仕事も、そして最愛の息子も失った人、みんな何かを奪われ失っている。それなのに目に見えない壁が人々を分断する。未だ震災は終わっていない。震えたまま立ち尽くす人たちがいる。

 撮影時、監督に向けて発せられた14人の被災者の語りと言葉が、私に向けて語りかけてくる。その語りが私をあの日に連れ戻す。あの日の事、そしてあれからの事がさまざまに甦る。被災者の語りに、同じように感じていた自分を改めて見出す。
 機会があったら、ぜひまた観たい、そう思わせてくれるとても貴重な映画だ。まだDVDで見ることはできないが、さまざまなところで自主上映会が企画されているようだ。近くで開催されるときは、みなさんもぜひ。(キヨ)

    ポスター画像