mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

冬の学習会 、年明けから 『ないた赤おに』で妄想する

 新年早々の冬の学習会に、多くの先生たちや市民が足を運んだ。午前中は、Diaryでも伝えたように前川喜平さんの講演会が行われ、会場いっぱいの参加者で熱気にあふれた。前川さんは、教育行政に身を置いて仕事をしてきた立場から、教育行政と教育はどのような関係でなければならないのか。文科省での仕事の経験も交えながらその想いを語った。

 午後は、国語の分科会に参加。報告されたレポートは「ないた赤おに」と「名前を見てちょうだい」、どちらも2年生の教材だ。以下では、「ないた赤おに」での話し合いを通じて、走り出してしまった私の妄想列車について書こうと思う。

 「ないた赤おに」は、多くの人が一度は聞いたことのある昔話だろう。ある先生は、お子さんが小さかったころ、絵本を読んでやるとかわいそうだといってよく泣いたという話をした。そうなのだ、この話は悲しいのだ。だが、その話を聞きながら、娘さんは誰のどんなことを悲しいと思ったのだろう。そして、この物語の悲しさはどこからやってくるのだろう。そんなことが急に気になりだした。

 「ないた赤おに」の赤おには、こわくて恐ろしいおにではない。人間と仲良くなりたいと思っている奇特な優しいおにだ。そんな奇特な赤おにの願いをかなえようと一肌脱いだのが友達の青おにだ。彼は、村で暴れる自分を赤おにがやっつければ人間は安心して赤おにのところにやってくる、そう考えたのだ。目論見は大成功、村人は赤おにのところへやってきて、赤おには大喜び。しかし青おには、自分が赤おにと行ったり来たりしていては元の木阿弥になってしまうと考え、みずから身をひいて去っていく。

 悲しみは赤おにからやってくるのだろうか、それとも青おにからだろうか。いやいや赤おにと青おに二人からだろうか。二人の間に悲しみは横たわっている。とは言っても赤おには当初の願いをかなえ、大喜びだったではないか。青おにと別れざるを得ないのは仕方がないことなのではないか。両方うまく行こうと思うことが土台無理な話。それが現実なのだ。そんな意地悪い見方をして、はっと気がついた。赤おにが望んだのは「人間たちともつき合って、なかよく くらして いきたいな。」ということ、人間たち「とも」だ。つまり赤おには人間とも、おにとも仲よく付き合いたい。そういう世界を願い、夢見ていた。赤おににとって青おにを失うことは、同時に夢の喪失でもある。そんなことを妄想して、これは昔、昔の話などというものではないのかもしれない? まさに今の、現代の話に通じるものかもという思いが湧いてくる。要するに、このおにの悲しみは、社会の偏見や差別のなかで苦しんできた、いや今も苦しんでいる人々の悲しみと相通じる悲しみではないのかと。そんな妄想がふつふつと胸に立ち上ってきて、「ないた赤おに」という話がいわゆる子どもむけの昔話という範疇を越えて、もっと歴史性を帯びた(部落差別や障がい者差別、ハンセン病患者の隔離政策など)人々の悲しみをも包括するような深い話に思えてきた。

 今年も、年始早々から、私の妄想列車は快調に走りだしてしまったようだ。考えることはとても楽しい。一つの発見がそこにあれば、至福の喜びにさえ通じる。今年も多くの学びを通じて、大いに妄想していきたい。(キヨ)

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