mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ケストナーの「勇気」と「かしこさ」

 先日、仙台算数サークルの仲間の場に同席する機会があった。センター通信別冊編集内容に関する話し合いだった。
 話のなかで、隣に座っていたHさんが、低い声で、「私は、ずいぶん前に、カスガさんが紹介した言葉を今も覚えています」と前置きして、一言一言、ゆっくりと、次の文をほぼ正確に言った。

教師たるものはな、つねに成長・変化する能力を持ちつづける義務と責任があるんだ。でなきゃあ、生徒は朝なんかベッドにねころがったまま、授業なんか蓄音機をかけて、レコードにしゃべらせたっていいんだ。だが、それじゃあぜったいこまるんだ。われわれが必要とするのは、教師としての人間なんだ。二本足のかんづめなんかじゃない。われわれが必要とするのは、生徒を成長させようと思ったら、自分も成長させずにはいない先生なんだ。

 私はびっくりした。これは、エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」(山口四郎訳)のなかに書かれている、寄宿学校の部屋で仲間に言ったフリッチェの言葉であり、教師になってからの私が読んでドッキリした言葉のひとつだったので、いくつかの集まりの場で紹介したことがある。Hさんたちに話したのがいつだったかはまったく記憶にない。いずれ相当前のことにちがいはない。
 それを今もほぼ正確に覚えていてくれているHさんに驚きつつ、紹介した者としては素直にうれしく思った。でも、Hさんの声が低かったこともあり、話はそこに入りこむことなくそのまま進んだ。

 フリッチェの言葉についての説明の必要はまったくないので、ここでは、ついでに、「飛ぶ教室」の中の別の言葉を添えておく。この物語は、最初に「まえがきーその1」「まえがきーその2」が置かれた後に「第1章」が始まっているが、「まえがきーその2」の中に以下のような文が入っているのだ。

かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かしこい人たちがおくびょうだったような時代がいくらもあります。これは、ただしいことではありませんでした。勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめて―――いままではしばしばまちがって考えられてきましたが―――人類の進歩というものが、みとめられるようになるでしょう。 

 「飛ぶ教室」は1933年に書かれており、昭和で言えば8年である。この年、1月、ドイツはヒトラーが首相になり、日本は3月、国際連盟を脱退し、10月、ドイツも連盟を脱退する。このような、世界の動きが怪しくなっている年に「飛ぶ教室」が発表されたのだ。しかも、多くの子どもたちに、ケストナーは、「勇気」と「かしこさ」を前置きして、子どもたちを温かく見守りつつ「正義」を強調している。

 こんなケストナーヒトラーは黙って見ているわけはない。ケストナーの作品出版をドイツ国内で禁ずる。また、悪書として焚書にまでされている。自分の出版物が燃やされるのを彼は目にもしていたようだ。しかし、ケストナーは、外国に亡命する作家たちの多い中で自分はベルリンに残りつづけたという。一切の執筆を禁じられてもである。
 自分自身が「飛ぶ教室」を実践したとも言える。作家だから自分の目で見ておかなければならないと考えたようだ。

 今の日本も、私たちに求められているのが「勇気」と「かしこさ」のように思う。
 そう考えると、「勇気」と「かしこさ」を自分のものにすることなく、今の世の中に明るさをもちかねているなどと言いわけをしている私に向かって、ケストナーは「そんなことでいいのか・・・」と叱責しているように思えてきて、身が縮んでくる。( 春 )