mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

学力テスト 平均点に右往左往 熱くなるのはオトナばかり

 8月1日の新聞各紙が、19年度「全国学力テスト」結果について相当の紙面をさいて報告している。今回は、初めて中学3年の英語が導入されたこともあるのだろうが、私は、この「全国学力テスト」については、始まったときから疑問をもち、それは、膨らむばかり。新聞はいいタネと喜んでいるのだろうか。ジャーナリズムが似たようなことを毎度報じているのにもやや呆れる。

 ただただ自治体や学校間に無用な競争意識をもたせ、子どもたちの伸びやかな感情と子どもゆえにもてる旺盛な好奇心の芽をせっせと摘んでいるのではないかという危惧が私からは消えない。なぜ学力テストを行うのか。このテストによってよく変わっていくべくオトナ(だれかわからないが)に期待されているものは「平均点」の数字が他より・前年までより上がることなのか。まさかそうではあるまい。少しでもよりよい教育施策・その内容、その具体化のために、それに携わる人々がもっとも必要としているのではないか。とすれば、都道府県別に並べる意味はまったくないように思う。

 2007年に始まったというから、学校にはすっかり定着しているのだろうが、20年以上もつづけて、学校や子どもたちにどんな益をもたらしているのだろうか、マイナスだけがいくつも浮かんでくる元教師の私にはまったくわからない。

 全国各県・政令都市の、学年・教科ごとの平均点が並ぶ。おそらく学校では、この平均点は相当気になる数字に違いない。それ以外にこの一覧表は、どんな意味があるのだろうか。

 河北新報では、「全国学力テスト6県分析」と「生活習慣アンケート」を載せている。そこから何を考えようとしているのだろうか。ちなみに東北6県をどう分析しているか、それぞれの見出しを羅列してみる。

青森―「算数と数学 平均以上」「家庭学習 中学生低調」
岩手―「数学と英語 全国下位」「自己肯定感 認識に差」
宮城―「算数 また平均下回る」「行事参加の割合高い」
秋田―「小中国語 トップ維持」「望ましい環境が定着」
山形―「長い英文 読解が苦手」「読書や新聞に親しむ」
福島―「国語 苦手分野が改善」「計画立て勉強増える」

とあり、「平均以上」「全国下位」「また平均下回る」「トップ維持」などつねに紙上で目にする用語が無造作に使われる。
 この、見出しの羅列だけを見ても、疑問は少しも解けない。分析内容はすべて平均点を柱にしていることはこの見出しだけでも推測できる。しかも、「生活習慣アンケート」も「平均点」をベースにして解説されているように思える。長くなるので、宮城の学力テストについての分析文のみ以下に全文紹介する。

 小学校は国語、算数の両教科でいずれも2ポイントずつ全国平均を下回った。前年度と比べマイナス幅は縮まったものの、算数は現行形式となった2013年以来、6年連続で平均点に届かなかった。
 問題別の正答率は国語、算数ともに全国の傾向に近いが、国語は漢字の書き取りや接続詞の使い方、算数では記述式やグラフの読みとりの問題で特に正答率が低かった。
 中学校は前年度と同様に国語が平均を上回り、全ての領域で偏りなく得点した。数学は平均を2ポイント下回った。反比例の数式を導き出す問題や連立方程式、確立などの問題で正答率が低く、県教委は『いずれも基礎的な分野で、基本が十分に身についていない』と指摘した。初実施の英語は『書くこと』の正答率が全国平均を3ポイント下回った。『聞くこと』『読むこと』も平均に達しなかった。

 「平均」とか「正答率」とかが、やたら使われるが、この結果の解説を読んでも、私は、「あ、そうですか」という言葉だけしかない。「平均点が去年は何点、今年は何点」と比べてどんな意味があるのだろう。テストをやればやるほど、子どものマイナス部分だけが気になり、そこを埋めることに大人は懸命になりつづけるだろう。他のページに、「新聞読む子は好成績」(文科省)とあった。すぐ全国の学校で大合唱が起こるのではないか。「初めて行った英語は『話す・書く』が課題」とあった。これも《小学校中学年からの英語にもっと力を》との声が聞えてきそうだ。

 「全国学力テスト」を少し休んで、小中学校時代というかけがえのない時代を、何を大事にどう過ごさせるのがいいか、大人の責任として考えたいものだ。

 退職直後のある夕方、最後のクラスで遊びのメイジンだったYと出会った。「どこへ行くの?」と声をかけると、力のない声で、「英語の塾へ」と言って下を向き「さようなら」と一言加えた。今でも決まって浮かんでくる絵のひとつである。
( 春 )