草原にゆれる銀河 夏を告げる白い花
森や野原は、花の季節から緑の季節へと進んでいます。木々の緑は濃くなり、梅雨の時期は一層鮮やかです。梅雨あけの夏は、花を咲かせる野草の数が少なくなるのですが、その時期に咲き出すのが白い花穂のオカトラノオです。
オカトラノオは、日当たりのいい山地や草地などでほぼ同じ方向を向いて咲いています。花穂には一つ一つの小さな星型の花が集まっていて、野原一面に咲く姿は、さながら夏の銀河といったところでしょうか。
夏を知らせる オカトラノオの花
オカトラノオはサクラソウ科の多年草。北海道から九州の、丘陵の日当たりの良い草地に生えています。サクラソウの仲間といっても、外見上はまったく似ていないのですが、花のつくりがサクラソウと共通しているのです。
オカトラノオは、白いつぼみが根元の方から先端に向けて咲き上がるように開花します。つぼみの頃も美しく、そのつぼみが下からしだいに咲き続き、白い花穂がふくらんでいく様子は毎日見ていても飽きることがありません。
花穂の先端のつぼみ
花は、花穂の根元から上へと咲き続きます。
オカトラノオは「丘虎の尾」と書きます。花穂の姿が「虎の尾」に似ているのがその名の由来といわれていますが、花穂は「猫の尾」ほどの大きさなのに、「虎の尾」とはどうしたことでしょう。湯浅浩史・文「花おりおり」(朝日新聞社)には、その「仰々しい名は江戸時代の遊び心から。橘保国の『画本野山草』(1755年)に白虎尾草の名で正確な図が載る。」とありました。
先日の「ダーウィンが来た」(NHK総合)で、ビッグキャットと呼ばれる大型猫科の特集番組があって、そこに登場した野生の虎を見て驚きました。優美な曲線を描いて下がり、先端でちょっと立ち上がるオカトラノオの花穂は、虎の尾によく似ていたのです。花穂には気品や風格も感じられ、これは「猫の尾」ではなく、やはり「虎の尾」がふさわしいのではと思ったのです。トラノオ(虎の尾)と名づけた人も、あながち遊び心でないものを、この花に感じていたのではないでしょうか。
オカトラノオのオカ(丘)は、同じサクラソウ科の仲間で湿地に生育するヌマトラノオと区別するためのものです。このトラノオという名は、そのまま受け入れられて、他の花の名前にもついています。身近に見られる花は、夏から秋にかけてピンクの花を咲かせるハナトラノオ(シソ科)です。他にもシソ科のミズトラノオ(シソ科)、ハルトラノオ(タデ科)、ヤマトラノオ(ゴマノハグサ科)など、種類も多くあるので、名前を正しく呼ばないと区別がつかなくなります。
優しいピンクの花穂のハナトラノオ。夏から秋にかけて見られます。
トラノオがついた野草の中で、美しい曲線の花穂を見せてくれるオカトラノオですが、花穂につく小さな花もよく整っていてきれいです。小さな花びらの直径は1cmくらい。花びらが5枚あるように見えますが、よく見ると根元でひとつになっている合弁花でした。
深く5つに裂けた花びらには、それぞれ雄しべが1本ずつ向き合うようについています。多くの植物は、雄しべが花びらとが互い違いになって互生していることが多いのですが、オカトラノオは、花びらと雄しべが同じ位置に並んで対生しています。これがサクラソウ科の植物の特徴の1つなのです。
オカトラノオの星型の花 花びらと雄しべが対生しています。
「虎」と言う動物は群れを形成しませんが、植物のオカトラノオは群生していることが多いようです。細長い地下茎が地下に多数あり、これを伸ばして増えます。明るい日かげを好み、やや湿り気のある開けた草原では見事な群生を見ることができます。
草原で群落をつくるオカトラノオ
オカトラノオが地上に芽を出し始めるのは5月頃。乾燥が続いた固い地面でも突き破って出てきます。まっすぐに茎を伸ばし、60cmから1mほどになると花穂をつけますが、他の春の花が咲き続く間はじっくり背丈を伸ばし、他の花の少ない時期を選んで花を咲かせます。小さな花をたくさんつけて花穂の根元から順番に咲かせることで花期を長くし、群れて咲くことで遠くからでも目立つようにして虫たちを誘うなど、オカトラノオならではの生き方をそこに見ることができます。実際に咲いている花穂のまわりには、いつも多くの虫たちが吸蜜に訪れていました。
オカトラノオの花に訪れるチョウたち
花期が終わると、果実を成熟させる期間が続きます。果実は直径3mmほど、花柱が残ったままの姿でどれも上を向き、褐色に熟すと5裂して種子を散布して仲間を増やします。秋の深まりと共に、オカトラノオの葉は黄色や紅色に色づき、草紅葉となって、秋の湿原を彩ります。冬になると、地上部はすべて枯れて姿を消してしまいます。
ある夏の日のこと。丘陵地のオカトラノオの群落が続く草原を散策していたときでした。急に風向きが変わり、晴れていた空が暗くなり、激しい雷雨となりました。あわててモミの林に飛び込み大木の下でしばらく雨宿り。激しい雨で白い花穂は波打つようにゆれていました。
夕立や虎の尾怒る河の渦 幸田露伴
しばらくして雨が上がると、草原は再び明るく輝き出しました。純白の花穂が雨の雫をまとって光り、頬をなでる涼風が青葉の香りを運んできます。刻々と変化する自然の中にいると、体中の細胞が目覚め、感覚も鋭敏になってくるようでした。自然界に満ちた生きるエネルギーのようなものも伝わってきます。
樹木や草花のいのちと同じように、人間のいのちも自然と深くつながりあっているのでしょう。人間がどんなに快適な環境にいたとしても、自然という源泉から離れて生きることはできないように、そのとき感じたのでした。(千)
◆昨年7月「季節のたより」紹介の草花