mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ある闘いの真実と教育

 日曜日は、台原森林公園に隣接する仙台文学館に足を運んだ。新緑が窓から広がりとても気持ちがいい。文学館での読書や学習に疲れたら、ふらっと台原森林公園を散策することもできて一石二鳥だ。

 この日は、よっちゃんと散歩がてら出かけた。情報コーナーに置かれていた『キネマ旬報』(2018年9月下旬号)に、昨年話題になった韓国映画1987、ある闘いの真実」の特集が組まれていた。なかにチャン・ジュナン監督へのインタビュー記事があり、監督は、自身の1987年当時(高校3年生)を振り返って、次のように語った。

「当時は、光州と同じ全羅道にある全州に住んでいました。デモが多くて、催涙弾の煙が入らないように、暑くても窓を閉めて授業を受けたりしていました。記憶に残っているのは、『おもしろいビデオを見に行こう』と友人に誘われ、地元の教会に行った日のことです。上映されたのは『タクシー運転手』にも登場したドイツ人記者が撮った光州の映像でした。すごくおぞましかったですし、『光州と全州はそれほど離れていないのに、なぜ何も知らなかったのだろう?』『この真実についてなぜ誰も話していなかったんだろう?』と考え、鳥肌が立ちました。ホラー映画であれば映画館の外に出てくれば『ああ、映画だった』とほっとするんですが、あの時はそこで見た映像に続く“現実”の中に戻らなくてはならず、どんなホラー映画よりも怖かった。忘れられない体験でした。こうしたビデオなどによって光州の真実が少しずつ知られるようになり、それによって引き起こされた怒りや自責の念が圧縮されて爆発したのが1987年だったと思います。」

 記事を読みながら、前日の土曜日に行われた「みやぎ教育のつどい」の集まりであいさつに立った女性弁護士の話を思い出していた。彼女は自己紹介も兼ねながら中高一貫校時代のことを語った。彼女の通っていた学校は「髪は三つ編みにしなくてはならず、また前髪を垂らしてはいけない」など服装や身だしなみに厳しい決まりがあった。校長先生は、生徒の服装の乱れを見つけると言葉でではなく、指の本数によってその乱れを指示し伝えたという。当時の彼女は、そのようなことをまったく変だとは思わなかった。ただ社会科の先生が、そのことについて強く批判したのを驚きをもって記憶したという。

 韓国の映画監督と女性弁護士の話は直接関係があるわけではないが、2つの出来事から次のようなことがみえてくる。
 韓国の映画監督チャン・ジュナンは、光州事件の映像をみることを通じて「光州と全州はそれほど離れていないのに、なぜ何も知らなかったのだろう?」「この真実についてなぜ誰も話していなかったんだろう?」との問いを獲得する。と同時に、自らが生きるこの現実が、ゆがみ軋みながら音を立ててその相貌を変えていく様に驚愕し怖れを抱くのであった。高校生の彼は、そこに光州と地続きの今の自分を発見する。
 同様に女性弁護士も、社会科教師のいつになく強い口調の批判が彼女の心のなかに不協和音として残響しつづけることで、自らの学校生活や社会を見つめるまなざしを獲得する。それは少なからず、今につながる彼女の人生に影響を与えている。

 人が社会に目を開き認識を深めていくには、私たちの日常世界に亀裂を生じさせ、日常世界そのものを意識化し、同時に自分自身の存在をも顕現化する、そういう契機が必要であり、教育は本質的にそのような機能を有しなければならない。そのような異質な他者の声や文化芸術を必要とするということなのだろう。映画監督がみた光州事件の映像や女性弁護士の語った教師の声が、そして教育の自由が。そんなことを記事を読みながら考えた。( キヨ )