mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

時代の区切りに再考すること

 新年度がスタートし1ケ月。今日はメーデー。パートナーは母親連絡会の物資販売でメーデー会場へ、そしてボクは母の介護で留守番。そっして天皇の代替わりという区切りの中で、今年のゴールデンウィークを迎えた。新聞を開いてもテレビを見ても、この1ヶ月は平成の30年間を振り返る報道が相次いだ。そんなこともあって、連休中、自分の30年前を当時のノートなどで思い起こしてみた。


 1989年、昭和天皇崩御、そして新天皇の即位があり平成が始まった年は、初めて組合の専従になった年である。書架の古いファイルの中に1990年正月に行われた組合の旗開きで、当時、県教組のT委員長の挨拶レジュメがある。そこには、第1章「歴史的な激動の時を迎えている国際情勢」として、①中国・天安門事件 ②ソ連アフガン撤退・ペレストロイカ ③ベルリンの壁落ちる・東欧各国の民主化 ④南ア・アパルトヘイト運動・数100団体が大集会 ⑤チリ独裁政治に終止符。第2章には「日本の労働者は豊かになったか」として、①経済大国日本・KAROSHIが国際語 ②大企業の内部留保10年で3.12倍 ③サミット参加国で最低の社会保障・年金改悪のごまかし ④軍事費だけが突出。さらに第3章「労働界の再編成」 第4章「自民党独裁に終止符を~国民の願いを実現する時代に」 第5章「職場は今」と続いている。
 その当時は、ロシア市民が強権的支配者プーチン誕生を喜び、中国の習近平が個人崇拝体制を構築し、アメリカ市民がトランプのような問題を抱えた人物を大統領に迎えることなど30年後の世界が現在のようになっていると想像することはありませんでした。
 しかし1989年の時点でも、30年後にこんなことになるであろう「小さな芽」のようなものはあったのでしょう。しかし誰も気がつかなかった(ように思う)。それどころかボクはもっと違う、もっと将来性のある「芽」を感じ、その「芽」を育てて「大きな花」を咲かせることを願って活動してきたつもりでした。
 天下国家を論ずる力量は持ち合わせていませんが、「なぜ大きな花を咲かせることができなかったのか」、「なぜ現在のような混迷が起きてしまったのか」をボクなりに考え続けていきたいと改めて思うのでした。
 冒頭の旗開きの中でT委員長が『展望は闘いの中でこそ切り開かれる』と結んだ言葉を胸に刻んで、「令和」という「時代」を過ごしていきたい。<仁>