mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

汝の馬車を星につなげ ~東北の教師の願いを今に~

 研究センターが「東北の教育的遺産」を発刊してくれた。苦しい財政のなかでの決断に感謝している。

 というのは、20名を超える東北6県の書き手のほとんどは戦前から活躍した方々で、それぞれが取り上げている教師もその仲間たちだ。かつて、「よみかた東北」という小誌への連載を1冊にしたものである。
 戦前・戦後、東北の教師はどんな願いをもって仕事をし、県を越えてどうつながっていったのだろう。研究センターが1冊にしてくれなければ、東北の教師の多様な仕事はほとんどの人に知られずに終わることになっただろう。書き手も含めて登場している方々の多くが故人になっているが、その残したものは大きい。

 この書の冒頭に以下のような「序の詩」がかかげられている。これは、宮城のすばる教育研究所が1981年に刊行した「風の中の旗手たち」(きた出版発行)より転載したものである。

「風の中の旗手たち」によせて
  ー 彼等が掲げた灯を消してはならない ー

ひとりの子どもの哀しみを理解しようとしない者が
どうして「教育は愛なり」などと言い得よう
教育は、常に、ひとりひとりの子どもの哀しみを
教師が共有するところから出発する

教育が、固い枠づけでしか考えられぬ時代があった
授業も教科書絶対の画一注入
教えるものにも、学ぶものにも、自由はなく
権力に盲従する教師たちは
子どもたちの前に、自らも絶大な権力者として振舞い
いささかの疑念も、反省もない時代である

そんな時代に
子どもたちを愛するゆえに
自らの教育を
自らの良心に問い続けて止まぬ教師たちがいた
その教師たちは
固い枠組みの教科教育の中で
たったひとつ、
子どもの真実の声が噴き出る教科――綴方、
一週一、二時間の、その綴方の授業を
真珠のように大切にして
ひとりひとりの子どもの真実の声を聴こうとした
子どもの声を聴くことは
子どもの秘めた哀しさを知ることであり
子どもの哀しさを知ることで
真実の教育を求めようとしたのである

「一人の喜びがみんなのよろこびとなり
ひとりの悲しみがみんなの悲しみとなる」
――その頃 彼等が生みだしたこの言葉の
なんと美しいひびきをもつことか――
この言葉のひびきに 若い教師たちは戦操し
それは箴言のように伝播していき
若い教育良心の連帯がまさに形成されつつあった

しかし、不幸な時代がはじまっていた 
軍国主義が反省もなく暴走するとき
無謀な権力は
このひとかたまりの良心を蹂躙し圧殺した――
あるものは無法に教壇を追われ
あるものは無実の獄囚となり呻吟した
閉ざされた未来の暗さに若い命は絶望し
その妻と子と親は
灯を消された道に哭いて彷徨した
――先達の運命はいつの時代も悲劇である――

民主主義の明るい陽光の中で回想される彼等の青春の努力は
虐げられたゆえに
なんと美しい光芒を放つことか
まさに暴風雨をゆく旗手のように
燦然たる栄光につつまれてみえる
歴史はこうした良心によって発展し
未来はこうした努力によって拓かれるからである

「ひとりの喜びがみんなの喜びとなり
ひとりの悲しみがみんなの悲しみとなる」
眼をつむればきこえてくるこの言葉の
そうだ、
この美しいひびきを決して絶やしてはならない
彼等が命をかげて掲げた灯の光を
決して消してはならない

 この序詞は、この「東北の教育的遺産」に登場する東北の教師の姿そのものでもあり、そのまま「序詩」として転載させていただいた。それぞれの方が伝えたかったことは、そう、どなたも「彼等が命をかげて掲げた灯の光を 決して消してはならない」の思いから書かれたものだ。

 教師は何をこそ大事に生きなければならないか、そんな大仰なことばを使ってはいないが、205ページのなかにつまっている、書き手とそこに登場する東北の先人のさまざまな動きが私たちに語りかけているものを読みとるとき、自分の明日が見えてくるのではないか。
 ぜひ、多くの人に読んでほしいと願う。( 春 )

 *『東北の教育的遺産』 誌代 700円  
   (問い合わせ先 みやぎ教育文化研究センター)