mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風9 ~私の遊歩手帖4~

 ◆ルーベンス磔刑

 かつて私はニーチェを論じた拙著『大地と十字架』のなかに探偵Lという我が分身を登場させ、彼にこう言わせたことがある。

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「実に奇妙なことだな。この惨たらしい死骸の像を信仰の核心としているなんてことは」。あるとき、ふと俺のなかでこう声が眩いた。

 この絵画的印象からすれば、麗しい天国や浄福への希求、平安とか安らぎ、そうした一般的な宗教的価値が同じくキリスト教の信仰の核心を形成しているとはどうしても思えなくなる。釈迦の涅槃図において入滅する釈迦の顔に人は死の苦悶を見ることはない。むしろそこには永遠の安心を得た穏やかな柔和な大いなる包容がある。横たわる釈迦の周囲を弟子たちのみならず、森から出できた鳥獣たちもが静かに取り巻き、宇宙の全体が釈迦の周りに円陣をなして安らう。

 十字架に架かっているのは、衣服を剥ぎ取られた、既に屍蝋化しつつある、一人のやせ衰え、苦悶に打ちのめされた表情の男の死骸。荊冠の下の額、十字架に釘で打ちつけられた両の手のひら、重ねあわされた足の甲、そこから流れ出た血は既に凝結してイエスの身体を隈取り、右胸には、あの死体のもつ非現実的な謎めいた印象がそこから湧いてくる虚ろに薄く口を開いた槍の刺し跡がいかにも生々しい。そこには暗黒の孤独がある。痛みの悲鳴がいまや虚ろとなって木霊している。打ち据えられた敗北の絶望、罪と罰の運命の呪いがその場を支配している。いずれそこから満身創痍で鎌首を持ち上げるであろう復讐心の呻きが聞こえる。たとえ「汝の敵を愛せ」と説くイエス自身は否定しようとも、イエスを取り巻く絶望の気配は沈黙のうちに復讐を誓っている。炯眼なニーチェが指摘したように。

 画家たちというのは執拗を極める輩(やから)だ。やつらは死の蒼ざめた絶望を、苦悶を、孤独をひたすらに描きだすことに執心している。そのために何度、死体置き場に、刑場に、虐殺のあとに、やつらは通ったことだろう。

 奇妙な驚くべきことではないだろうか? この屍体愛好の精神は。このような惨たらしさをそのままに永遠に記銘し続けようとする意志は。いかなる歴史が、風土が、民族の体験が、かかる意志を産み出したのか。」

 先頃、上野の美術館でルーベンス展を見たとき、私はこの自分が書いた一節に送り返された。ルーベンスルーベンスたらしめたもの、起点はあの磔刑像なのだ、という発見とともに。ただし、と急いでつけくわえなければならない。彼が描いた十字架上のイエスに対しては、決して「既に屍蝋化しつつある、一人のやせ衰え、苦悶に打ちのめされた表情の男の死骸」と形容することはできないことを。この形容を除くならば、先の一節に記した他のほとんどの言葉はそのままルーベンス磔刑像にも与え得ると思われるのだが。否、ますますその思いはルーベンスによって強められたとさえ思えるのだが。

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    キリスト昇架           キリスト降架

 両掌を横木に釘で打ち付けられ、天を仰ぎ白目を剥いたイエスを載せる十字架をいままさに刑吏の男どもが垂直に立てんとする図、「キリスト昇架」と題された一枚。処刑の終わった死せるイエスを男どもが横木から外し女どもが下から抱きすくめるように受けとめ、十字架から降ろす図、「キリスト降架」と題されるもう一枚。だが、その二枚のなかの血を滴らせたイエスの肉体は、地中から掘り出された古代ギリシャの若きアポロン神の彫像にモデルを取ったと思われる、筋骨隆々たる、まだ生命の体温が立ち去らぬ、若き勇者のそれであった。たとえ処刑の憂き目にあったとはいえ。

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      アンデレの殉教

 展覧会は教えてくれた。若きルーベンスがその彫像の模写に足しげく通い、それを通してこそ彼の生々しく力動的な肉体表現方法を、またその肉の表現を通してこそ対象人物の内面心理を照らしだす劇的な表現方法を確立したことを。絵「聖アンデレの殉教」におけるアンデレは、確かにもう白髪の老人なのだが、斜交いとなった二本の柱に縛り付けられ処刑を待つ彼の肉体、裸に剥かれ陰部を隠す白い褌一つとなったそれは、しかし、いまだ筋骨隆々たる昔の面影を失っていない。

 磔刑像とは何よりも贖罪死の、つまり「身代わりの死」の、その像である。

 己が身代わりとなることによって救うべき者たちの存在、言い換えれば彼が自分たちの身代わりであることを痛苦のうちに耐える者たちの存在、たとえ身代わりとなる決意に打ち固めた死であろうとも、独り死にゆく苦痛と恐怖を抱え込まねばならない一個の単独者、彼の存在、そして、この二つの存在、贖罪者と被贖罪者の絆に相対しながら、まさに彼を殺す役目を負わされた存在、あるいはそれを欲する存在。この三者関係のドラマツルギーなくして磔刑像は成り立たない。

 だから磔刑像は三者の内的な叫びに、しかも各一者においても決して一色ではない叫び、問いかけ、慟哭、沈黙、呪詛、絶望、殺害を励ます加虐の快楽、あるいは己の罪への慄き、等々に満ちているのだ。そしてルーベンスの場合、魂の相克劇は肉の相克劇なのであり、またそれ以外ではあり得ないのだ。

 私はくりかえしたくなる。「ルーベンスルーベンスたらしめたもの、起点はあの磔刑像なのだ」と。というのは、展覧会は私に次のことも教えてくれたのだ。ルーベンス磔刑像を発注したのは当時のカトリック教会であり、さらにその背景には当時激発するに至ったカトリックプロテスタントとの宗教戦争、かの三十年戦争があった、と。明らかにカトリック教会は信徒集団の戦闘的結束を奮い立たせるに最大の効果を発揮する宗教画を彼に要望した。それは磔刑像をおいて他にはなかった。イエスは同時に若き闘将でなければならなかった。ルーベンスはアポロとイエスを掛け合わせた。

 いたるところで戦争が渦巻いていた。しかもその戦争は信仰共同体の生死を賭けた戦争であった。およそ戦争とはいたるところで「身代わりの死」を、なかんずく若者のそれを求めるものだが、宗教戦争であるならなおさらだ。その信徒共同体の若き闘将の無残な「身代わりの死」は残された者たちに復讐を戦い抜く死の決意を与えた。ニーチェが見抜いていたように。

 このルーベンスとの出会いをとおして私のなかに新たに生まれた問題意識について少し触れよう。詳しい話は次回に回すが。

 竹下節子は、『キリスト教の謎――奇跡を数字から読み解く』(中央公論新社)のなかでイエスを「ユダヤ人を律法原理主義から解放して赦しと慈悲、恩寵を説いたラビ」であったとし、このイエスの反・律法原理主義(しかも自らを「神の子」と称する)を正統ユダヤ教の側は「死に値する冒涜罪」と宣告したこと、また正統ユダヤ教にとっては「十字架に掛けられた救い主」という観念は「スキャンダル」以外の何物でもなかったことを強調し、イエスと正統ユダヤ教徒のあいだに横たわる亀裂の深さを強調している[1]。そして最近私は彼女から教えてもらった。フランス語の「スキャンダル」という語には、「醜聞」という意味の他にもともと「躓く」という意味があるのだ、と。

 ただちに私は『マタイ福音書』26章の「全員の躓きの予告」を思い出した。かの最後の晩餐の席でイエスはこう予言する。「あなたたち全員が、この夜私に躓くことになるであろう」と。するとペトロが反論する。「皆の者があなたに躓いたとしても、この私は決して躓きません」と。イエスはこう言う。「あなたは今晩、鶏が啼く前に、3度私を否むであろう」。

 この予言は的中する。ユダの密告によってローマ軍がやってきて、イエスを反逆罪の容疑で逮捕したとき、周囲の村人はペトロを見とがめて、お前もこのイエスの仲間のはずだと言う。彼は恐怖に駆られ、「この男など知らない」とまさに3度白を切る。そしてペトロは自分の臆病と背信に絶望し、樹の陰に走り入り、泣き伏す。このエピソードを歌うものこそバッハの『マタイ受難曲』のハイライト、アリア47番である事情は周知のことだ。

 ところで、私は高橋和巳が『邪宗門』のあとがきにこう書いていたことも思い出す。いわく、「もともと世人から邪宗と目される限りにおいて、宗教は熾烈にしてかつ本質的な問いかけの迫力を持ち、かつ人間の精神にとって宗教はいかなる位置をしめ、いかなる意味をもつかの問題性をも豊富にはらむ」と。

 この視点を先の竹下の指摘に関わらせて言うなら、イエスは「邪宗」と周囲から攻撃され続けた古代ユダヤ教の異端派のラビであった。彼に従う邪宗信徒が、つまりは「原始キリスト教セクト」にほかならなかった。この視点から、くだんの4福音書、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ福音書を振り返るなら、それらはこの邪宗の己を鼓舞せんとする教団書にほかならない。《イエスがたとえお前の人生の躓きの石となる大いなる危険者であったとしても、そのイエスに敢えてなお従うことこそ、お前の人生の輝きであり、幸福であり、再生のチャンスであることを心得よ》、この繰り返しの呼びかけこそが4福音書にほかならない。『マタイ福音書』の「幸いの言葉」の結びはこうである。(『ルカ福音書』の同じタイトルの節ではこの「あなたたち」が乞食に等しい身分の貧民であることがさらに明示されている)。

――「幸いだ、あなたたちは。人々が私ゆえにあなたたちを罵り、迫害し、あなたたちに敵対して〔偽りつつ〕あらゆる悪しきことを言う時は。喜んでおれ、そして小躍りせよ、あなたたちに報いは天において多いからである」。

 私は次回、イエスの思想が如何にどの点で正統古代ユダヤ教にとっては「邪宗」=異端であったのかを一々指摘することを通じて、磔刑像がこのセクトの信仰シンボルとなったことの意味を探り直してみたい。

 遊歩でのルーベンスとの出会いは私をこの年来のテーマに送り返した。(清眞人)————————   ————————   ————————
[1]キリスト教の謎——奇跡を数字から読み解く』中央公論新社(2016年)
  155、157、163頁。