mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

春さんのdiaryを読んで ~ もう一人の自分 ~(1)

 春さんのdiary「教え子からの手紙」を読んだ。大学生になったE子さんは春さんに宛てた手紙のなかで言う。

 感じたままに書く、伝えることが、最近出来なくなってきた気がします。年を重ねるにつれ、どこかに軽い嘘みたいなものが混じっている気がするのです。合理的に物事を考えてしまうからでしょう。素直な自分の気持ちを伝える能力は昔の方がはるかに上です。(中略) 昔のように自分の思ったことを伝えなくてはそのうちパンクしてしまう気がするのです。

 身の回りの整理をするなかで、春さんはE子さんの手紙に出会う。それをきっかけに春さんはE子さんが小学生のときに書いた作文と、その作文に返事を書いたことを思い出す。

 春さんにもE子さんにも、自分のなかに今の自分に回収されないもう一人の自分がいる。教師という立場に回収されないもう一人の自分、大学生に回収されないもう一人の自分。ふたりとも自分の中にもう一人の自分がある。そしてそのもう一人の自分が、今の私に語りかける。同時に、その回収されない私を想起させ駆動させる存在として、お互いの存在がある。それぞれがそれぞれの存在に触発されながら、もう一人の自分を駆動させ今の自分を語る。

 春さんは小学生のE子さんへの返事で言う。「あなたの心を落ち着かなくさせてしまって、ごめんね。」 先生からの「ごめんね」を、E子さんはどんな気持ちで受けとめただろう。あなただけに向けられた「ごめんね」を。大人になると、大学生のE子さんがいうように、それこそ素直に「ごめんね」なんて言えなくなるものだ。そういう機会さえなくなってくる。おとなの、しかも教師の春さんからの「ごめんね」を、当時のE子さんはどう感じたのだろう。このような「ごめんね」を言える春さんを、私は本当にすごい人だと思う。

 生きるということは、今の自分に回収されないもう一人の自分を生きることでもあるのだと、二人は言っているように思った。( キヨ )