mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

架空文壇内閣の面々をめぐって ~安倍内閣とは大違い~

 前回(1月16日Diary)につづき「架空文壇内閣評判記」。他人の書いたものを、いかにもわがことのようにつづけるのは気がひけるが、自分の中では「架空」を超えて「現実」に結びつくので、書き手の技に驚きながら今を考えつづける。

 前回は荷風大臣だけで終わったので、今回はその他の人に触れる。まず総理大臣武者小路実篤から。臼井吉見は次のように言う。

総理として誰が指名されるかは容易に外部の予想を許さず、谷崎、吉川、志賀など下馬評はまちまちであったが、文壇は一議に及ばず武者を指名した。新内閣の眼目が平和の維持にあるので、個人の生命を尊重することがそのまま人類の意思に合致するという人間万歳思想の武者をおいてほかにないからである。きまってみると、なるほどという気がするのは妙である。

 「真理先生」や「お目出度き人」など書名だけがぼんやりと残っているだけの私も総理武者小路は意外であり、「文壇は一議に及ばず武者を指名」には少なからず驚かされた。 
 しかし、「人間万歳思想の武者」と言われるだけでは「なぜ」が消えないので、武者小路を少し探してみた。

【その1】
 武者小路が1918年に書いた「新しき村に就ての対話」を読む。「新しき村」は武者小路にとって作家活動とならんで力を入れたもの。その冒頭部分。

~~自分は労働を呪いはしない。しかし食うためにいやいやしなければならない労働は呪いたい。労働は人間が人間らしく生きるのに必要なものとしてなら讃美する。その労働は、男は男らしく女は女らしくする労働で、人間を人間らしくする労働でなければならない。労働という名は新しい時代に於いては、中世における武士という名と同じく誇りある名でなければならない。人々は強いられずに、名誉のために、人類のために労働をするという時代が来なければならない。労働は享楽ではない。しかし人間としての誇りある務めだ。労働の価値は高まる。そして、人々はよろこびと人間の誇りを持って労働する。そういう時代が来ることを自分は望んでいる。

【その2】
 武者小路の詩とその解説を見つけた。(荒川洋治「詩とことば」、詩についてのコメントは荒川)

   レンブラント

  レンブラント
  お前は立ってゐるな!
  耐えて耐えて立つてゐるな!
  帝王のやうに
  一人で
  帽子を阿弥陀にかぶつて、
  両手を腰にあてゝ、しつかと。
  レンブラント
  お前は立ってゐるな!

 ここには感動というものがあるだけであり、感動の内容があるわけではない。詩を読む人に、感じたことを伝えようという気持ちは作者にはない。技巧も、工夫もない。表現にかかわるいっさいの高度なものが欠落している。言語も表現も、いたって貧寒なのに、堂々としている。強烈である。(荒川)

 【その1】で武者の言う「労働」は、現在の政府が、いかにも新しい発想で何かが大きく変わるかのように言い出した「働き方改革」を私に浮かばせた。なんとこの違い。経済優先での人間破壊を見て見ぬふりをし、騒ぎが大きくなるとあわてて「働き方改革」などと声高に言う。労働環境を劣悪にしておいて「改革」とは・・・。「人々はよろこびと人間の誇りを持って労働する」ことを描く武者小路となんと違うことか。

 【その2】からは、作品の偉大さにまっすぐに対峙する武者小路の姿を想像し、加計問題などにみられるように平気で白を切る総理とのあまりの違いに絶句。
 この大きな違いはどこからきているのだろう。人間の違いとしか言いようがない。武者小路総理にエールをおくると同時に、現状をつくっているひとりの国民としての自分を大いに恥じる。それにしても、「一議に及ば」ない総理や大臣がほしいものだ。
 このままだと、また一人で終わるので、急いで2~3人についての臼井の文を羅列し紹介する。

外相の正宗白鳥は小林次官とともに苦心の人事と見られている。人生に何の面白いことがあるかという顔をしていながら、その実何事にも旺盛な関心を持ち、決してヘマをやらない白鳥を外相に据えようというのは、常に相手の意表をつき、これまた決してぬかりのない小林秀雄の次官と相まって、自主的外交の推進にこれにまさる人選はあるまいとの評判である。 

農相に至っては井伏鱒二以上の適格者はあろうはずはない。彼の農民を初め草木虫魚に対する愛情は信頼するに足るもので、植林や川普請、鮎や山女魚の養殖に異常な情熱を示すものと期待される。坂口次官は競輪と競馬を一括して同省の管理下におき、もっぱらその衝に当たらしめるというネライ。

川端康成の労相はだれしも意外とするところであるが、今後の労働攻勢に備えては、シンネリムッツリして、深海魚のように目玉ばかりギョロギョロさせている川端に当たらせるのが最上の策というネライからだとふれまわるものもあるが真偽のほどは不明。次官の丹羽文雄は、労働代表に吊るしあげられた場合、救援に駆けつける百名にも及ぶ配下をもっているものは彼のほかにないからとのことである。

 残念ながらスペースがないのでここで止めざるを得ないが、この陣容では総理のひとことでとはならず閣内一致までは何事でも容易でなかろう。そういう議論を通したものであればこそ、私たちも期待できるのであろうに。( 春 )