mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより16 ムラサキシキブ

学名は「日本の美しい果実」

 晩秋といわれるこの季節に、近くの雑木林を歩くと、赤や紫の実をつけた低木が目立ちます。秋の斜陽が射しこむと、これらの実の色が鮮やかに輝きだします。赤色系がガマズミの仲間、紫色系がムラサキシキブの仲間。ムラサキシキブは、張り出した枝の葉のつけ根あたりに、紫色の小さな果実をまとめてつけます。日本の樹木には赤い実をつけるものが多く紫色の実は少ないので見つけるのはそう難しくないでしょう。

f:id:mkbkc:20181127085049j:plain     陽光に輝くムラサキシキブの実。葉も黄葉しています。

  ムラサキシキブは古くから日本に自生していたと思われ、それが西欧に知られたのは江戸末期のこと、長崎に医師として訪れた植物学者カール・ツンベルクが採集し、帰欧後に「日本の美しい果実」と名づけて発表しました。「美しい果実」はギリシャ語でカリカルパ、これがそのまま、Callicarpa japonica という学名となっています。 ちなみに英名もJapanese beautyberry(日本の美しい果実)で、東洋の美しい実への憧れのようなものを感じます。

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          ガマズミの赤い実                                   ムラサキシキブの紫の実

 ムラサキシキブというと、「源氏物語」の作者の紫式部を連想させますが、「源氏物語」にはその名は登場しません。多くの植物が詠まれている「万葉集」にもその名はなく、その後の古典にもとりあげられていないので、それはどうしてなのか、研究者でもいろいろと推論されていますが謎のままです。
 牧野富太郎博士の「牧野新日本植物図鑑」によると、この名は「優美な紫色の果実を才媛、紫式部の名をかりて美化したものである」と記述しています。いつの頃からそうよばれたのかは不明で、またこの説にも異論があるようです。「花おりおり」〈湯浅浩史・文〉では、「江戸時代の初期の名は実むらさき、玉むらさき、山むらさき、語源は紫の実がしきつめられた「紫敷き実」か「紫茂実」のようだ。」と解説しています。
 「源氏物語」の紫式部の名は知られていたので、「ムラサキ・・・・」と聞けば、「・・・シキブ」と反応したと思われ、「シキミ(敷き実)」や「シゲミ(茂実)」から「シキブ」への転訛はありうること。いろいろ調べても、ムラサキシキブの名と紫式部や「源氏物語」との関係はないようです。紫の美しい実が平安期の文学とゆかりがあるのではと期待していたのですが幻でした。

 ムラサキシキブクマツヅラ科の落葉低木で背丈は3m程、日本全国の丘陵帯に分布しています。秋の木の実の美しさを知っている人は多いのですが、その花を見た人は少ないようです。花期は6~7月、葉柄のつけ根に小さな淡紫色の花を咲かせます。木の実を見つけることができたら、その木を覚えておいて、花の時期にも訪れて探してみてはどうでしょう。葉かげに咲く花も実と同じように魅力的です。

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 雄しべの黄色が目立つムラサキシキブの花      ムラサキシキブの若い実

 ムラサキシキブは、地方によってハシノキやハシギとも呼ばれます。材質が白く強靭で箸を作るのに適していたようで、大工が使うノミの柄にも使われていました。また、木炭に焼くと良質の堅炭が得られると言う記録も残っていて、木材にはならない木でも、昔の人はその材質を上手に生かして利用していたことがわかります。

 雑木林ではムラサキシキブと同じ仲間で、宮城県が北限のヤブムラサキも一緒に見られます。ヤブムラサキは葉に毛が密生しビロードのようです。花も実も毛でおおわれていて、触るとふんわりとした感触が楽しめます。
 ムラサキシキブには白い果実をつける変わり物があり、それはシロシキブと呼ばれています。また、近縁種には小振りの、果実を多くつけるコムラサキがあります。いずれも園芸種として庭先に植えられていますが、コムラサキムラサキシキブと間違って呼ばれることが多いようです。

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   軟毛に包まれている    白い実をつける     コムラサキ(ムラサキシ
 ヤブムラサキ        シロシキブ         キブと間違えられる)

 木の葉の落ちた雑木林では、赤や紫色の木の実は目立つので、その実を小鳥たちが見つけて食べにやってきていました。

「秋になると、草や木の実がいっせいに色づきはじめます。色づいたのは、中のたねが、じゅくした合図です。でも、このような実はそのまま土の上におちても、芽生えません。それは、たねをつつんでいる皮や肉が、芽ばえをとめるはたらきをしているからです。たねを芽ばえさせるためには、まず、実の皮や肉をすっかりとりのぞかなければなりません。その役目をしてくれるのが野鳥たちです。
 あざやかな色の実をみつけて、野鳥がついばみにきます。このとき鳥は、たねもいっしょにのみこんでしまい、とびさっていきます。
 鳥にたべられた草や木の実は、皮や肉が胃の中でとけてしまいます。でも、たねだけはかたいからのおかげで消化されずに、ふんといっしょにおとされ、やがてそこで芽ばえるのです。
 つまり、たねは鳥といっしょに、それだけ遠くまで旅をしたことになるわけです。」
        (科学のアルバム「たねのゆくえ」埴沙萌著 あかね書房

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    落葉後も、 ムラサキシキブの実は、冬まで枝に残ります。

 植物は自ら動けない生きものなのに、自由に旅をしながら仲間をふやしています。風にのるハルジオン、人の足について運ばれるオオバコ、ジャンピングするゲンノショウコなど、これまでもいくつかとりあげてきましたが、その植物の生き方を子どもたちと一緒に学ぶと、子どもたちの目は輝きだします。植物のいのちをつなぐ姿に驚き、賢いのは人だけでないと素直に考えるようです。人の生き方と植物の生き方の違いを学ぶことは、自然界における人のあり方をあらためて考えなおすことになるでしょう。知識を蓄えるのでなく、自然の不思議さを探求することを、いつも子どもたちとの学びの根底におきたいものです。(千)