mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風 1 ~私の遊歩手帖1~

 前のdiaryで、道(ミチ)さんが高橋哲哉さんとの出会いも含め、今週末に行われる講演会を紹介していますが、冒頭の案内チラシに描かれた印象的な絵は、当研究センターとも縁のある清眞人さんのものだ。

 チラシ掲載の承諾をもらうため清さんに連絡を取ったおりホームページやdiaryのことが話題となった。diaryが、当研究センターに集い思いを寄せてくれる人々の交流の場になればと思っている等々。これまでは主に研究センターの事務局メンバーが記事を書いてきたが、ウィングを西に(ずいぶん思い切って)広げ、清さんにも近況も含め日ごろ考えていることや思っていることなどを不定期でよいから寄せてもらうことにした。

 清さんのこれまでの研究や取り組み、人柄については、おいおいこのdiaryの中で語られていくことになると思うが、その思索の領野は大変広い。専門の哲学はもちろん美術や文学・音楽、最近では宗教などにも強い関心を寄せ、この10月には『フロムと神秘主義』を藤原書店より出版された。また自らも絵を描くなど様々な文化的活動にも取り組まれてきている。本人は、「思考の創造的展開は必ずや『異種交配化合』から生じる」と言うが、そのことは以下に語られるルオーから始まりエルンスト・トラーへ、そして高橋和巳へと展開するなかに十分みてとることができる。

 今回が、その第1回となる。風は国境も壁ももろともしない。そよ風も荒れ狂う風もある。風は、感じる者とともにある。(キヨ)

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「ミセレーレとゲール(「憐れみたまえ」と戦争)
    ——  ルオーの黒色銅版画連作

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 ルオーは、あたかも絵を描くことを覚えたての幼児が対象を輪郭づけるときに引くような、太くて端的なおよそ細部というものにまだ関心がゆかぬ線の使用と、対象をまるで定義づけるような同じく濃く端的な色の使用によって知られていた。——空の上は青、中は緑、下は黄、木は緑、でも幹は赤、農家の屋根は赤、大地は茶、お月様は黄! マリア様の頬は橙、額は黄、長い鼻筋は白、眼は黒く大きい、でも両脇の目じりは白。イエス様の鼻筋も眼も同じ、そして彼の顔の皮膚は茶、でも下唇は赤! 

 幼児の絵は線と色による命名行為そのものだ。

 「プリミティヴィズム(原始主義・素朴主義)の採用によってこそ本質への接近は可能となる」という信念はゴッホに端を発し、ピカソらのフォーヴィズムにもドイツ表現主義にも継承され分有され、西欧の20世紀前半の前衛的絵画精神の核となった。ルオー的プリミティヴィズム、すなわちそれが彼の絵だ。

 きっかけはNHKの人気番組「新日曜美術館」のルオー特集であった。それに促されて汐留ミュージアムにルオーの宗教画、なかでも、何よりも「ミセレーレとゲール」と題されるルオーの黒色銅版画連作を見に行った。

 ルオーの次の言葉に出会った。「黒は色彩の王者」との。

 僕は黒色のルオーに出会った。その銅版画連作はすべて黒一色であった。

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 黒一色ではあるが、眼を作品に近づけ、白の部分と黒の部分とのあわいを見ると、そこには実に繊細な擦り傷のようなエッチングの線がニュアンスに満ちた白の輝きを産むための隠れた縁取りとして印刻されていた。黒は白をほのかに輝かせ、白は黒をいっそう沈降させる。鑑賞者の視線はひたすらに作品の内面へと導かれる。深き淵に、かくしてまたその淵より湧く慄きや嘆き、悲鳴の切なき白き小さき波頭に。

タイトルにある「ミセレーレmiserere」とはラテン語で「ダビドの痛悔詩50」と呼ばれる歌を指すそうだ。「Miserere mei」と歌うなら、それは「憐れみたまえ 我を」の意味だ。フランス語の「ゲール guerre」の意味は「戦争」だ。

 解説にこうあった。この連作は、ルオーが41歳の1912年から始め15年にわたって取り組んだもので、開始して2年後第一次大戦が始まったことで構想は一挙に飛躍し濃縮し、当初は前半を「ミセレーレ」とし後半を「戦争」とする2部構成をとった連作として構想された、と。そして、意味深長にも「廃墟すら滅びたり」と題する1926年の作品は、その版画の最上段に「戦争」というタイトルが入り、その下にイエスの顔が、そして下段に鉄兜を被った骸骨になりかけの兵士の死顔が配置された作品となった。この作品は第2部「戦争」の開始を告げる扉絵として制作されたという。

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 僕は年来、第一次大戦の経験が20世紀西欧の思索のありようを、方向性を決定づけたという事情に強い関心をもっていた。まさにそれを僕はこのルオーの連作のなかに確認した。「罪と悪意のこの世で孤独」、「われらは苦役囚ではないのか?」、これらの「ミセレーレ」の諸主題の極まり、「廃墟すら滅びたり」といわせるほどの集約、それが彼にとっての「第一次大戦」であった。それから10年近く彼はその経験の意味を問い続けるためにこの連作に入る。

 ルオーを訪れる前の数ヵ月、僕は二つの仕事に打ち込んでいた。一つはドイツ表現主義演劇の創始者であるエルンスト・トラーとマックス・ヴェーバーとの深きかかわりをテーマとする『二人の葛藤者 —— ヴェーバーとトラー』の執筆であり、もう一つは『『悲の器』としての人間 —— 高橋和巳における宗教と文学』の執筆であった。

 ドイツ系ユダヤ人であった青年トラーは、死を賭して己の「ドイツ人」性を自他に確証せんと勇躍義勇兵となってドイツ軍に参加する。だが、惨酷極まりなき前線の現実に打ちのめされ、あらゆる民族対立と戦争に終止符を打つべき闘う「平和の闘士」たらんと社会主義者となる。彼の自伝『ドイツの青春』のなかに次の一節がある。

「砲弾で粉々にされた森、二つのみすぼらしい言葉。一本の木、それが一人の人間のように立っている。・・・〔略〕・・・一つの森は一つの国民である。砲弾に粉微塵にされた一つの森は謀殺された一つの国民である。手足関節を失った切り株が昼間も黒々と立ち、慈悲深い夜によっても覆われることはない。・・・〔略〕・・・

ひとりの‐死んだ‐人間。

なぜ私は一語一語区切ったのか? なぜこれらの言葉は一語一語に留まることを強いるのか? なぜそれらは私の脳を万力の力でもってプレスするのか? なぜそれらの言葉は私の喉を締め上げるのか、また心臓を。・・・〔略〕・・・突然、まるで闇が光から分かれ、言葉が意味から乖離したかのごとく、私は自分が忘れていた、葬り去られ覆われて横たわっていた単純な真理、人間、この共同体、一なるものにして、それぞれなるものを理解した。

ひとりの死んだ人間。死せるフランス人でもなく、死せるドイツ人でもなく、ひとりの死んだ人間。この死者たちはみな人間だ」。

 ルオーのくだんの連作に「悩みの果てぬ古き場末で」というタイトルの彼の生まれ育った貧民街をテーマにした作品がある。その画面の中央には一本の大樹が画面を縦断するように描かれている。彼は或る友人に「樹」についてこう書き送ったという。「根本的な心理、つまり空を背景とした一本の樹は人間の顔と同じ興味、同じ性格、同じような表現をもっている」と。

 僕のなかで、この彼の言葉と先のトラーの言葉は不思議な共振を演じだす。

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 そして、高橋和巳とも。

 高橋は『悲の器』の冒頭に『往生要集』から次の言葉を引く。そのタイトルの由来として。その一節にこうある。いわく、 

「罪人…〔略〕…閻魔大王を怨みて云えらく、何とて悲の心ましまさずや、我は悲の器なり」

 右の一節における「悲」とは仏教において「慈悲」を意味する。まさにルオーの言う「ミセレーレ」である。「悲の器」とは、慈悲に満たされるべき器、ルオーの言葉を援用するなら、それほどに「罪と悪意のこの世で孤独」であり、「苦役囚」である我、周囲の罪と悪意に責めたてられた果てに自らも罪と悪を犯し、いわば自乗化した「孤独」という「苦役」を負わされた我、その「悲」ゆえに「慈悲」を乞う我という意味である。

 僕にとって「遊歩」とはつねに共振すべき何ものかとの出会いを求めての歩行である。( 清眞人 )