mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

PISA学力テストの真のねらいは? 新自由主義とどう関係するのか。

 『2018みやぎ教育のつどい』の記念講演は四国は高知から、鈴木大裕さんを迎えて行われました。大裕さんの著書「崩壊するアメリカの公教育 ~日本への警告~」を読み、認識を新たにしたことがあります。それはPISAのテストについてです。以下、少し長い引用になります。 

  PISAというテストの質を批判するつもりはない。PISAは「知識を実生活に適用する能力」の評価を打ち出し、受験を前提とした机上の詰め込み教育とは一線を画してきた。PISAに対する十分な批判が展開されてこなかったのはこのあたりが理由だろう。
 しかし、真の問題はPISAが助長する新自由主義の流れであり、PISAを通してOECDが世界中の公教育システムを遠隔評価し、監視、競争させ、政策誘導し、世界教育市場の拡大と活性化を促進している現在の新自由主義的な構図そのものにある。(中略)その意味で、OECDが前提とする、世界市場における経済的競争力の増強を目的とする、狭く偏った学力観は、人間の教育の経済的課題に対する服従といっても過言ではなく、そのOECDが世界の公教育を評価し、各国の教育政策に多大な影響を与えていることを私たちが当然のように受け入れている事実は、新自由主義が私たちの心の奥底まで浸透していることを物語っている。
 「数値による統治」なしに、地域の多様性を越えた国際学力到達度調査は存在し得ない。「数値を集め、操作するための規則は広く共有されているので、それらは簡単に海や大陸を越えて、活動を組織したり論争を解決したりするのに用いることができる。」PISAはこの『距離のテクノロジー』を駆使し、教育という本来極めて主観的で環境に左右されやすい人間的な営みを、環境の多様性を削ぎ落とし、ペーパーテストで客観的に測定・比較することができる「パフォーマンス」数値へと抽象化することによって、教育の遠隔操作を可能にした。(中略)教育が数値化され、世界規模で標準化されることによって出来上がるのは、テストの点数を「通貨」としたグローバルスケールの教育市場だ。
 数値化と標準化に伴う教育の商品化のもう一つの例は、教えるという行為のテクニック化だ。ただ点数を上げることだけが求められるのだから、学校は進学塾化し、教えるということはもはや点数を上げるためのテクニックでしかなくなってしまう。 

 教育出版社であるピアソン社。ピアソンはPISAの運営を委託されたことで世界最大の学習到達度調査のオフィシャルブランドになっている。PISA関連の出版、模擬テスト、データシステム提供など、その利益は計り知れない。OECDの教育次長、かつPISAのディレクターであるシュライヒャー氏はピアソン社の顧問だそうだ。
 PISAの国際比較から始まった学力テスト体制を考える意味でも、大裕さんのこのような指摘は頭に入れておかなければならない。  <仁>