mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

映画と私、徒然なるままに ~ 仙台セントラルホール閉館を前に ~

  f:id:mkbkc:20180627124222j:plain 

 6月21日の朝日新聞に、『名画に光 街の映画館閉館へ』の見出しで、仙台セントラルホールが6月末で閉館の知らせの記事が掲載された。
 仙台市内で唯一の地元資本による映画館で、ミニシアター系の新作や旧作の上映に力を入れたが、インターネット動画の普及などによる映画離れが赤字体質を加速させ、その歴史に幕を下ろすことになったという。
 セントラルの閉館により、市内の映画館はMOVIX仙台(太白区)、TOHOシネマズ仙台(青葉区)と、山形のフォーラム運営委員会が運営するフォーラム仙台(青葉区)、チネ・ラヴィータ宮城野区)の4館になる。    

 手元に家族の記事が掲載されていたため保存していた昭和39年12月14日付けの河北新報がある。その日の映画案内のコーナーをみると、当時、仙台市内(合併前だから今の青葉区宮城野区太白区若林区)だけで、当然ながらシネコンなどという言葉もない時代だから、スクリーン1つの単館映画館が23館掲載されている。
 懐かしい名前がずらりと並ぶ。参考までに列挙すると、松竹・東映・日活・日乃出・パラス・仙都・東宝・中劇・東劇・名画・日乃出5階、青葉・有楽・コニー・南街・公園・日乃出地下・錦・ミリオン・北仙台ロマンス・地下小劇場・東日乃出。
 「あー、懐かしい」という声が聞こえてきそうです。かく言う私にとっても懐かしい思い出の映画館がいくつかある。

f:id:mkbkc:20180629105628p:plain

f:id:mkbkc:20180629111715p:plain

 久しぶりの投稿なので、もう少し映画と私の思い出を徒然なるままに書いてみる。
 私と映画の最初の出会いは、小学校低学年の頃、夏休みの夜、近所の広場公園に大きな白布を張っての上映会。作品名も今では定かではない。作品名やストーリーも朧気ながら記憶に残っているのは、東日乃出劇場でみた『無法松の一生』や『一本刀土俵入り』である。父と自転車で観に行った。1958年、5年生のときである。『一本刀・・』は少しあとだったかも知れない。そしてその年はもう一つ強烈な印象で『十戒』がある。初めて観る洋画だった。劇場は今の晩翠通り(当時は細横町)にあった東劇。今では当たり前の横長のスクリーンでパノラマ映画と呼ばれていたと思う。モーゼが神に祈ると海が二つに割れ、そこに現れた道をヘブライ人が逃避する場面など忘れられない。東劇ではもう1本。6年生のときに観た『ベンハー』。馬に引かれた戦車が、車輪をぶつけながらの戦闘シーンは迫力がありすぎてびっくり。次の中学・高校時代は部活に明け暮れ映画とは離れた時期。そんな中でも中学の時に観た『ウエストサイド物語』は初めてのミュージカルで、鮮烈に記憶に残っている。そして大学に進み、暇を見つけては『名画座』『青葉』通い。これまでの人生の中で一番映画を観た時期でもある。

 映画との付き合いはまだ続いた。教員になり仙台市内の学校へ転勤したのが1970年代半ば。当時、親子映画運動が盛り上がり、私も迷うことなく会員になった。例会があると受け持っていた子どもたちや保護者を誘って、映画館まで引率。一緒に映画を楽しみながら、帰りも学校まで一緒にもどってくる。道々、感想を勝手に言い合いながら楽しいひとときになった。その中でも1979年に上映された『ガラスのうさぎ』は、前述の仙台駅前にあった日乃出劇場・日乃出5階・日乃出地下劇場の3スクリーンを利用しないと入りきれない上映会であった。仙台親子映画のギネス記録だったと思う。並行して仙台名画鑑賞会も活動をしていた。会員になった私に当番で入場口のもぎりの役の日があった。しかし、連れ合いが二番目の子の出産が間近で、3才になる息子を連れていくことになった。会場の電力ビルでもぎりの役目を終え、息子と席に着く。作品はチャップリンの短編映画が3本(?)だったと思う。もちろん無声映画だ。そこで驚いたことがある。隣りに座ってスクリーンを観ている息子が、私(大人)と同じように、笑ったり、おびえて私にくっついてきたり、涙をうかべたりしている。3才の子にもチャップリンの世界がわかるんだという発見は、私にとっては『事件』であった。そのような思い出があったこともあって、その後、『道徳』の授業で、チャップリンの映画をみせることに繋がっていくのだった。

 定年退職後の5年間、児童館で勤務するのだが、初代のM館長が始めた『寅さん映画会』。毎月1回、土曜の午後、近所の方たちに呼びかけ、山田洋次監督の『寅さん』シリーズ全48回を4年計画で無料上映する企画でした。私が着任したのは4年目に入る第37作から。しかし最後の第48作を上映する3月、あの3.11東日本大震災が起きた。3月の上映会は延期とし、新年度の4月に最終回を無事終えることができた。その後は『寅さん映画会』の名を改め、『こども映画館』として毎月1回、映画会は続いている。

 また機会があれば映画について触れようと思う。
          さよなら さよなら さよなら。END  <仁>