mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

是枝監督と「DISTANCE」

 カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝監督は、映画のみならず政界をも巻き込んで話題の人となっているようだ。
 6月18日付朝日新聞は、『「助成」「公権力と距離」矛盾するのか』との見出しでそのことを報じている。事の発端は、林芳正文科大臣がパルムドール受賞に対して祝意の意向を示したところ「公権力とは潔く距離を保つ」とそれを辞退、しかしその一方で映画制作では文化庁の助成を受けていることから、《矛盾している》《けしからん》と言うような批判的意見が寄せられ賛否の議論を呼んでいるというのだ。
 是枝監督は、距離についてとても自覚的だ。そのことは『DISTANCE』(距離)というタイトルの映画作品があることからも察することができる。そもそもドキュメンタリー作家として映像制作の途を歩み出した是枝監督にとって、テーマや被写体との距離をどうとるか、置くかということはいつも頭にあったことだろう。対象を撮る・観るには常に距離が必要だ。それは、映像制作に限ったことではなく、公権力などについても言えることだ。自分が今どこに立ち、どのように相手と向き合うのか。映像作家である是枝監督にとって「公権力と潔く距離を保つ」というのは至極自然なことであり、なにもびっくりするようなことではない。仮に公権力とべったりひっついて距離がゼロだとしたら・・・ 想像するだけでも気持ちが悪いし、それでは何も見えなくなってしまうというものだろう。
 今回の是枝監督に対する否定的な意見や批判は、さまざまな助成金や資金援助を受ける者は、提供者の意向に沿うことは当然であり当たり前というような認識が日本社会全体に蔓延し、一般化していることの反映であるかもしれない。また現にそういった認識を生む土壌と事実があることも確かだろう。その点では、金銭に関わる援助や資金とどのような距離をとるのかは、文化芸術活動の自由と独立性をどう担保するのかというシビアな現実的課題であると言える。しかし同時に、そのような現実を相対化し問い直すためにも、文末の監督のコメントにもあるように《(公的を含む)助成とは本来どうあるべきか》といった議論が必要だろう。

 是枝監督は、まさにその現実と理想との間に距離をとり、その緊張関係のなかに身を置きながら仕事をされていると思っている。( キヨ )

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