mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

いじめ問題再調査委員会の再開に向けて

 いじめ問題再調査委員会(以下 再調査委)は、どうなっていくのだろう? どうしてこうなってしまったのだろう? などと思っていたら、今朝の 河北新報(3月8日付)が、3月14日(水)に第7回会議を開催する方向で準備していることを報じました。そこで、これまで公開してきた第4回から第6回までの審議を振り返り、再調査委についてちょっと考えてみました。 

 先ず、子供未来局だけの事務局体制でよいのか? 大丈夫なのか? ということです。この間の傍聴を振り返ると、子供未来局は十分にその役割を果たすことができていないように感じます。例えば、第4回では、市教委の「いじめ問題専門委員会」からのヒヤリングのセッティングができていないことを、《事務局としての仕事をしていない》と委員から厳しく叱責されました。第5回では、教育課程における部活動の位置づけや教員の労働条件、あるいは1クラスの児童・生徒定数について質問がありましたが充分応えることができませんでした。質問は、学校教育の今日的な課題でもあり、教育委員会事務局であれば少なくとも即答できる類いの質問だと思います。
 上記事項に共通して深く関わっているのは、言うまでもなく教育委員会です。しかし再調査委の設置が市教委の調査報告に対する不服申し立てによるわけですから、市教委を事務局にするのは適切ではないということになるでしょう。それは事の道理として理解できます。ただ、この間の傍聴から見え隠れするのは、残念ながら市教委が関わらないことによるデメリットの方が大きいように思います。市教委が事務局を担うことはかなわないとしても、何らかの形で再調査に市教委が関わる体制づくりが必要なのではないでしょうか。 

 二つ目は、この再調査委に対する市教委の姿勢・対応についてです。今回のいじめ自死は子供未来局管轄のなかで起きたのではありません。市教委の所管する学校教育のなかで起きているのです。その事実と責任の重みに市教委は真摯に向き合っていると言えるでしょうか。第5回の会議に至るまで「いじめ問題専門委員会」ならびに市教委は、再調査委のヒアリングに応じてきませんでした。応じない理由を、いじめ問題専門委員会は《合議体によるもので委員個人として答えにくい》《日程の調整がつかない》などと言ってきました。ですが昨年9月から今年1月の第5回会議に至るまで実現しなかった経過からは、実質的には協力を拒否してきた姿しか見えてきません。野田委員による大越教育長への「あなたたちが(男子生徒を)殺したんだよ」という、一般的にはきわめて不適切にとられる発言の背景に、こうしたこれまでの市教委の姿勢があるだろうことは認識しておいてよいだろうと思います。子どもたちが毎日通う学校が、子どもたちのいのちをはぐくみ育てる場になっているのか、楽しく学び合う場になっているのかどうか。そのことの是非が、教育行政全体をあげて問われているのです。

 そもそも市教委は、今回の再調査をどう受けとめ考えているのでしょう。また市教委の調査報告を受け入れなかった遺族の思いをどう思っているのでしょう。今後の仙台市の教育施策の展開と教育行政のあり方を考えるとき、この再調査委員会に対する市教委の基本的認識と姿勢が、根本のところで問われているように思います。 

 三つ目は、再調査委の議事進行についてです。すでに新聞などでも報じられたように委員長と委員、あるいは委員と教育委員会など事務局の間で、ときに侮辱とも中傷ともとれる激しいやり取りが行われました。議事に参加している委員や事務局のみなさんは、いじめ自死の真相究明に向けお互い信頼協力していく立場にあるはずです。そのみなさんが仲違いしていてはどうしようもありません。各委員はもちろん事務局も、協議では誰に臆することなく率直に話し合いがなされることが大事です。そのためにも委員各自が、それぞれの立場や認識の違いを認め、尊重した冷静なやり取りが求められていると思います。
 また事務局の子供未来局は、この再調査委での議論が充実したものになるよう委員長をしっかりと補佐し、また事前の打ち合わせや委員などの意見集約や調整につとめるなど、事務局としてのイニシアティブをもっともっと発揮されることを期待します。( キヨ )

◆追記:3月14日開催のいじめ問題再調査委員会の詳細は、こちら 
    ご覧下さい。
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