mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

第4回 いじめ問題再調査委員会を傍聴して

 昨年、年の瀬も押し迫った12月27日、17時からの開催! 何でこんな時期に、こんな時間帯で行うの?・・・と思いながら、すでに暗くなった道をいそいそと「いじめ問題再調査委員会」の傍聴に行きました。

※ 同委員会は、2016年に起きた南中山中の男子生徒のいじめ自死をめぐり、その事実関係等を調査していた仙台市教委の第三者委員会「いじめ問題専門委員会」の答申を、遺族側が不服・再調査を求めたことから、改めて再調査を行う委員会として市長部局に設置されたものです。 

 河北新報(昨年12月28日付け)は、同会議を「調査手法 また決まらず/ 南中山中自殺 再調査委 公開で会合」と題して報じています。12月22日開催の「いじめ対策等検討専門家会議」の記事より、ずいぶん小さい記事ですが、次のようなことが述べられています。

・9月の初会合以降、3ヶ月経っても実質的な調査に着手できていない。
・今回から原則公開されることになった。
・再調査委員会は、再調査の原因となっている仙台市教委のいじめ問題専門委員会
 の答申の不備等を確認するため、いじめ問題専門委員会との会合を求めているが
 実現していない。
・当時在職した教職員からの聞き取り調査を行う方針を確認、しかし対象や聴取内
 容は決まらない。

 すでに4回目の会議を迎えているにもかかわらず、会議は進展せず行き詰まっていることが記事のタイトル「調査手法 また決まらず」からや、会議の実情が「着手できていない」「実現していない」「決まらない」と、ないない尽くしからも明らかです。唯一、評価できる会議の「原則公開」も、今回まで決められてこなかった状況を考えれば、決して褒められたものではありません。

 そのような状況にあるのですから、新聞が辛口の記事を書くのは当然です。しかし、その一方で同委員会は、これまでの第三者委員会では見られなかったようなやり取りや議論が行われているのも事実です。それらについて新聞マスコミはどこも報じていないようなので(触れているところがあったらごめんなさい)、そのあたりを中心に以下に感想をと思います。

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 一つは、先に上げた仙台市教委のいじめ問題専門委員会との会合がいまだ実現していない件に関わって事務局に対し厳しい注文と意見がなされたことです。会議でのやり取りによれば、仙台市教委のいじめ問題専門委員会との会合を持つことは、第1回会議ですでに合意・確認されていたことのようなのです。ですから委員が、今回に至るまで事務局は何をしていたのかと不信に思うのは当然です。会議では、事務局の仕事をしていないのだから、そこ(事務局席)に座っている必要はないと、厳しく意見される場面も。これまで傍聴してきたほとんどの第三者委員会は、事務局がお膳立てした議論の方向と内容を追認していくのが通例でしたから、このようにストレートに事務局に意見をする場面を目にしたことはありませんでした。大変驚きましたが、会議に多くの労力と時間を割いて出席している委員からすれば、当然といえば当然です。

 これに対して事務局を担っている子供未来局は、「合議体による結論で委員個人として答えにくいとのことだったが、改めて委員長らに出席を要請する」と返答しました。他方で、事務局の子供未来局からすると、教育委員会の管轄にあるいじめ問題専門委員会の出席については出席の要請(お願い)はできても、役所の縦割り行政のなかで出席を強制することはできず困っているというのが、もう一つの実情ではないかとも推察します。直接の事務局である子供未来局はもちろんですが、仙台市教育委員会もここまでことを大きくしてしまった責任・当事者の立場として、積極的で協力的な対応が求められているように思います。
 昨年の流行語大賞には「忖度」が選ばれましたが、事務局と委員の間で忖度なく率直に真剣なやり取りが行われるのはとても大切なことです。事務局と仙台市教育委員会は、しっかり取り組んでほしいと思います。(事務局の肩を持つ必要も、私が自責の念を感じる必要もないのですが、思わぬ会議の事態に自分が叱られているようでハラハラしながら傍聴しました。)

 二つ目は、「いじめ」の定義をめぐっての論議があり、大変興味深いものでした。ある委員が、文科省のいじめ定義は、子どもと子どもの間の関係で行われる行為でしか考えていない。しかし、教師が子どもを苦しめていることもあるし、学校が子どもをいじめる、そういう場になっていることだってあるのではないかというのです。それを受けて他の委員からは、そんなことを言ったら、この委員会で文科省を批判することになるかもしれないけど・・・大丈夫なのか? そこまで再調査委員会でやるつもりはあるのか?というようなやり取りがありました。
 いじめを再定義しつつ、その再定義を含めていじめ自死に取り組もうとする姿勢は、単にいじめ対策に終わらない、いじめの原因がどこにあるのかを子ども個人の資質に還元せず、学校教育という今の教育そのもののあり方も含めて考えようという、ちょっと大袈裟ですが、いじめの見方をめぐるコペルニクス的転回を感じました。いじめという事象を掘りさげて考えるという視点の提起に関心を持ちました。

 三つ目は、当時在職した教職員からの聞き取り調査についてです。報道されているように、その対象や聞き取り内容は決まっていないとのことですが、ぜひやってほしいと思います。会議の中では、多くの委員がこの聞き取りを誰がするのか? をめぐり戸惑っていたようですが、委員自らが行うのがよいのではないか(筋では)と思います。委員のみなさんがここで躊躇しているようでは、この再調査委員会の本気度が透けて見えるというものです。カウンセリングなど専門的な知識や方法を知らない、持っていないから躊躇されるのかもしれませんが、各委員が教職員のみなさんときちんと向き合うという姿勢を示すことが、先ずはとても大切なことなのではないでしょうか。教職員もいじめ自死が起きた当初は、さまざまな理由で語れなかったことも、時間が経つことで語れるようになる、語りたくなるということはあるように思います。この再調査委員会のやる気度とその度量が問われていることのように感じました。

 ところで、実はこの委員会の最大のユニークさ・特異性はどこにあるのか?というと、それはもしかしたらdiary冒頭で不平を漏らした会議時間の設定にあるのではないかと・・・? そんな気になり始めています。そして、そのユニークさは何を意味しているのか? と言えば、傍聴者(正確には、仙台の教職員をはじめ教育関係者や保護者、そして仙台市民)も一緒に、このいじめを本気になって考えよう解決しようと呼びかけているのではないかと・・・。その具体の現れが、就学している児童・生徒の多くの働く保護者や教職員、そして仙台市民がなるべく傍聴できる(可能な)日時による夜の会議設定ではないかと思うのです。ゆえに新聞が伝えていたように、会議は「原則公開」とすることが何にもまして譲れない大切なことなのではないでしょうか。ある意味、私たち仙台の人間の本気度が試されていると言えるかもしれません。ちなみに次回会議の開催日時は、1月20日(土)17時~21時 と、やはり前回同様に夜です。

 以上は、私のこの会議についての感想であり、見方にすぎません。そして新聞が伝えるように、この委員会は未だまったく機能せず混迷した状況にあります。しかし同時に、混迷しつつもこれまでの第三者委員会には見られなかったやり取りや議論に期待したいと思います。もちろん傍聴できるときは、一人の市民としてこれからも参加したいと思います。( キヨ )