mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

おすすめ映画『パターソン』

 我が家の風来坊がどこで仕入れたかしらないが、映画「パターソン」を見に行かないと誘ってきたので、一緒に見に行った。

 そう言えば、しばらく前のNHKの番組で、青木さやかさんが、何も起きない映画だと力説していた。彼女にとっては大いに不満なのだろうか。それとも演出込みのシニカルな彼女なりの応援なのだろうか、などとTVに映し出されている彼女を見ながらぼんやりと思った。

 主人公は、ニュージャージー州パターソンでバス運転手をするパターソン。その彼の変り映えのしない1週間の生活を描いたものだ。青木さんは、何も起こらないと評したが、そもそも私たちの生活は毎日おもしろいことや悲しいことがいっぱいあるわけでも起こるわけでもない。パターソンの一日も同様だ。

 朝目覚めると枕もとの腕時計で時刻を確かめ、隣で眠る妻のローラにキスをする。いつものように職場へ向かい仕事を終えれば寄り道もせずにまっすぐ帰路につく。夜は食事を済ませると愛犬マーヴィンを夜の散歩に連れ出し、行きつけのバーで一杯のビールで疲れを癒す。そんな1日の生活の日課が繰り返される。日課の中身は違うけれど、それらは私たちの生活でもある。だから映画「パターソン」は、私たち自身の日々を描いた正直な映画と言えるかもしれない。あなたも私も、そしてそこの誰かもパターソンなのだ。

 ただ、それでは映画は楽しくない。でも、ご安心あれ。映画は、退屈な日常を楽しく見られるようにしてくれている。
 例えば、主人公のパターソンは一介の生活者として私たちと同じだが、彼は仕事中に想いついたことを詩に綴るという点で私たちとはちょっと違う。あるいは妻が夢にみたという双子の話から、さまざまな双子がさりげなくスクリーンに顔を出す。観ているこちらは、いつの間にか「ウォーリーを探せ」のような気分になってくる。いつも通勤で同じ電車やバスに乗り合わせる人を見かけなくなると、どうしたのだろう?などと気になるのと同じように。

 同じようで異なること、異なるようで同じこと。日常生活の繰り返しにあるそういう細々とした機微の違いや共通性が、映画『パターソン』を豊かに彩っている。私たちの退屈な日々も同様・・・なのだろう。確かに好き嫌いの分かれる映画かもしれないが、見終わって、なにか穏やかで満たされた気持ちになるのはなぜなのだろう。( キヨ )

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