mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

おすすめ映画『三度目の殺人』

 現在上映中の是枝監督の新作は、『三度目の殺人』。物語は、殺人の前科がある三隅(役所広司)が、多摩川の河川敷で解雇された工場の社長を殺し、ガソリンをかけて燃やすシーンから始まる。再び殺人を犯した三隅は、ほぼ死刑は確実。しかし、担当するエリート弁護士の重盛(福山雅治)は、無期懲役に持ちこむために調査を開始する。接見するたびに二転三転する殺害の動機などの供述内容。重盛のなかに様々な人間模様が見えてきて膨らんでいく疑問。さらに殺害された社長の娘・咲江(広瀬すず)と三隅との思わぬ接点が浮かび上がる。なぜ殺したのか? 本当に彼が殺したのか? 三隅の得体の知れない闇が重盛を、そして私たち観客をも引き込み、飲み込んでいく。

 映画を見終えて、何とも言えないモヤモヤ感が?? 映画どうだった?と聞かれて、こんな映画だよ!と、なぜかすぐに言えない。それはどうしてだろう?
 そもそも「三度目の殺人」と言うけれど1度目、2度目、3度目は、それぞれ何を指しているのだろうか? このモヤモヤ感こそが、これまでの是枝映画にはつきものだったとも言える。今回も是枝ワールドにまんまと引き込まれているということだろうか。

 幾度となく映し出される出演者たちの空を見上げるシーン。空を見上げるのは、なぜだろう? 神は、運命は、空に宿るとでもいうのだろうか。それとも自らを見失ったとき、変わらぬものに心をむけることで平安を保とうとするためだろうか。空は雄弁だ、様々な表情と心情を表してくれる。

 同様に、殺害した社長の焼け跡として地面に刻まれた十字をはじめ、雪原に仰向けに寝転がる三隅、咲江そして重盛の十字、重盛がふと立ち止まる十字路など。裁かれるのは誰なのか。そして裁くのは誰か。そんなことが脳裏に浮かんでは消える。

 一緒に映画を観に行った風来坊のサトは、最終盤の接見室で向き合う三隅と重盛の横顔が重なる映像を観て「器だね」という。器という言葉は、この接見室での場面と前半でも語られる言葉だ。その器という言葉が、映画のキーワードだというのだ。

 そもそも器に何を入れるかは、使う人の自由。湯呑の器ならお茶やコーヒー、スープでもかまわない。映画では三隅という器に重盛は重盛の、裁判官は裁判官の、検察官は検察官の、それぞれがそれぞれに考える今回の事件の真相なり解釈を注ぎ入れる。三隅はあくまで器、事件の真相・真実はわからない。そんなことを、あのシーンの映像は語ろうとしていたのではないのかというのだ。そう考えると、二人の横顔が重なる映像は、確かに映画全体を象徴する一つの場面としてみえてくる。

 是枝監督は、この映画を通じて人が人を裁くこと、人が人を理解することについて考えてみたいと述べている。その監督の思いが映画の中で映像として様々な形で私たちに問いかけているように思った。

 ここしばらく家族を中心に描いてきた是枝監督とは違う是枝ワールドを楽しんでもらえるのではないだろうか。( キヨ )

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