mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

文科省と道徳と、そして忖度をめぐって

 森友学園加計学園、どちらも総理近辺が絡む大変な問題だが(本人たちは至ってそうは思っていないようだ。そこが恐ろしい)、しかし未だに真相はみえてこない。真相はみえないが、国会周辺で繰り広げられている大人たちのやり取りを見ていると、この社会のいじめの縮図や、子どもたちに道徳教育が必要だとその必要性を訴えているはずの偉い方々の醜態だけは十分みえてくる。なんとも悲しいことだ。

 森友学園の籠池さんのところには、少し前に大阪地検の家宅捜索が入った。それに対して国策捜査だと籠池さんは噛みついた。一方、加計学園の方は、ほとんどこの問題について当事者であるにも関わらず発言を控えている。誰かからのアドバイスでもあったのだろうか?(しかし、『文春』の下村博文元文科大臣への政治献金疑惑については、早々にコメントを出した。この早々の対応も逆に怪しく見えてしまうのですが)。

 両者の対照的な立ち振る舞いを見ている子どもたちは、きっとその経過から、ああやっぱり強い者には従えだよなあ。楯を突いたらろくなことにならない。余計なことは言わないで、見て見ぬ振りで通さなくちゃ、そうしないと大変なことになる。子どもたちはそういうことを暗黙のうちに感じて、ちゃんと学ぶ。

 来年から小学校で教科に格上げされた(?)道徳の授業が始まるが、よもやこのような価値意識を子どもたちに育てたいとは思っていないと考えたい。ただ一方で、文科省は、今回の道徳の授業のあり方について、「答えが一つではない課題を一人一人の児童生徒が道徳的な問題と捉え向き合う『考える道徳』『議論する道徳』への転換を図る」と述べている。とするなら、今回のこれらの出来事をうまく読み物としてアレンジ整理し、反面教師的に授業の教材として使うことはできるかもしれない。社会に蔓延するいじめの構図がみえてくる教材としては面白いのではないだろうか。思い起こすと、今回の道徳の導入のきっかけは確か「いじめ」だったよね。今の内閣府・官邸と文科省のやりとりを考えると、文科省の方は多いに賛意を示してくれるかもしれない。

 そうそう、その際に授業で学ぶべき内容項目のキーワード(徳目)は何になるのだろうか。「善悪の判断」「希望と勇気、努力と強い意志」「親切、思いやり」「相互理解、寛容」「公正、公平、社会正義」・・・。どのような視点から、どう子どもたちと向き合うかでいろいろ考えられそうだけど・・・。逆に焦点が拡散してぼけてしまいそうだから、いっそのこと新たなキーワードとして「忖度」も入れてみるのはどうだろうか。その方が、一つのキーワードでいろいろ考えられていいかも?

( キヨ )