mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

広辞苑「いじめ」見出しの登場と、教育の歩み

 「いじめ」という文字が新聞の見出しに頻繁に登場する。

 それが、中学生を自死にまで追い込むとすれば、他人事ですますことではないから新聞などに見られるのは当然のことであり、その根絶への取り組みは急務である。

 「いじめ」という言葉を耳にするようになったころ、なんとなく(これまで「いじめ」なんて言葉を聞いたことがなかったなあ)と思ったことが記憶にある。
 「いじめる」「いじめられる」など動詞ではそれまでもふだんの言葉として身の回りで使われていたし、自分でも使ったことがあるが、「いじめ」という名詞での使用の記憶は思い出せなかったのだ。それで、辞書をいろいろめくってみたことがある(もしかすると、以前この欄で触れたかもしれない)。

 すると、手元の「広辞苑」が私の疑問に応えてくれた(そう言い切っていいかどうかはわからないが・・)。
 1983年11月(昭58年)に出ている広辞苑第3版では、「いじめ」は見出し語としては出ていない。ちなみに、「いじめる」は出ていて「弱いものを苦しめる」と説明している。
 その後の広辞苑第4版は8年後の1991年11月(平3年)に出されているが、その第4版になって「いじめ」は初めて見出し語になって出ていたのだ。その説明は、「いじめること。特に学校で、弱い立場の生徒を肉体的または精神的に痛みつけること。」とある。「いじめる」もあり、その意は3版と同じであった。 

 広辞苑を絶対視するわけではないが、広辞苑は辞書と言ってもその時々の社会の動きに特に敏感に反応しているように思うことを考えると、この広辞苑の3版と4版の事実から言えば、3版の出た1983年11月までは、「いじめ」と言われる事実はあったにしても見出し語のひとつとして取り上げるほどではなかったととることができ、それが4版で取り上げざるを得ないようになったのは、80年代になってからのそれまでと違う動きからきていると言えそうだ。しかも、その意に「特に学校で」と使っていることから言うと、「いじめ」は今も学校の場に特有のものであることのようだ。(私は、そう言い切ることについては異論をもつし、「いじめ」があったかどうかの調査や議論で済ませられるものではないと思っており、過去の私の教室でのことでも、今も自分の中にオリのように沈んでいるものがある。これらは、また近いうちに触れたいと思う。)

 なぜ80年代なのか。そして、80年代はどんなことがあったのだろうか、教育関係の動きを主にちょっと年表をのぞいてみる。

80年  教科書偏向攻撃再燃  教科書検定強化 「荒れる中学生」現象

81年  校則強化、管理主義教育強まる  教師の体罰急増

82年  教科書検定(侵略―進出問題)国際問題化  

84年  臨時教育審議会設置 「いじめ」・自殺の急増

85年  文部省「いじめ」問題指導充実について通知 「校内暴力」再燃

87年  臨時教育審議会最終答申

89年  初任者研修開始
     学習指導要領改訂(生活科設置、中学選択拡大、国旗・国歌強要)  

90年  (高校進学 95・1% 大学・短大進学 36・3%)

91年  第14期中教審答申(高校多様化、入学者選抜制度改革など)

92年  学習指導要領改訂(「新学力観」の画一的押しつけ)

93年  「いじめ」件数激減(文部省調べ)

 ちょっと並べてみただけの略年表の中に「いじめ」という言葉は84年に出ている。自分を振り返っても、80年代は、学校の変化の大きかった時のように思う。そのなかで「いじめ」が年表にも出てきて、今も変わりないどころか、仙台ではここ3年、生徒の自殺者まで出している。「いじめ」という言葉の陰湿な響きは、「学校」ともっとも相いれないものに思うが、それが、長年つづくということを、過去になった私らも他人事にせず、教育関係者は総がかりで真剣に考えなければならない。一片の通達ごときで解決するものではないことはまちがいないと思う。

( 春 )