mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

人間とは・・・ 科学とは・・・  心に響く対談

こまめに投稿という年度当初の決意はどこへやら。もう月末になってしまった。

 さて、先週4月22日に放映されたNHK番組switchインタビュー 達人達(たち)「福島智×柳澤桂子」の対談は心を強く打たれた。全盲でありながら世界で初めて大学教授となった東大教授の福島智さんと、こちらもまた難病と闘いながら思索と執筆を続ける生命科学者の柳澤桂子さんが、それぞれ自らの体験を交えながら「生きるとは何か」を語り合う内容だった。

 9歳で視力を、18歳で聴力を失った福島さんは指点字という方法で周りとコミュニケーションをとりながらバリアフリー研究者となった。一方、柳澤さんは女性の大学進学がまだ珍しかった時代に米国に留学し、最先端の遺伝子研究に取り組むが、31歳で突然、原因不明の難病に襲われ、以来、病と闘いながら生命科学について思索をめぐらせている。
 10年程前だったと思いますが、NHKのある番組で、少し元気になった柳澤さんが、有名な禅僧の方と対談された番組が放送されたことがありました。
 番組の中での柳澤さんは「この世は、分子の濃淡が違うだけである」と語り、いかにも生命科学者らしい言葉だなあとという印象をもったものでした。
 
 さて今回の対談では、番組の最後に、フランクルが名著『夜と霧』で書いたアウシュビッツの囚人が『何てきれいな夕焼け』と祈るように手をあわせたことを、「人間の脳の中には祈りの回路=DNAがある」「何に対してかといえば、私は神ではないと思っているから、それは宇宙です」と語り、「DNAの処理などはやってはいけない。畏敬の念をもつことは科学者の責任である」と結んだのでした。

 翌朝、書棚から『夜と霧』を取り出し、改めて読み直ししました。手元には1961年発行のものと、2002年新訳で発行の2冊があるが、ここでは後者の池田香代子さんの訳の方から抜きます。こちらには『壕の中の瞑想』と中見出しがついています。

 

 収容所で、作業中にだれかが、そばで苦役にあえいでいる仲間に、たまたま目にしたすばらしい情景に注意をうながすことがあった。…中略…今まさに沈んでいく夕日の光が、そびえる木立のあいだから射しこむさまが、まるでデューラーの有名な水彩画のようだったりしたときだ。あるいはまた、ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出し土の床にへたれこんでいたときに、突然、仲間が飛びこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
 そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的に形を変えていく雲をながめた。<中略>わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

 

 一方、対談相手の福島さんは、「科学は人間に幸福を提供するはずだった」と結びました。                                                                                                                      <仁>