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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

2月28日 学ぶことと生きること

 Aさんが亡くなったと聞き驚くと同時にすぐT君が浮かんだ。私の記憶の中では母親であるAさんと子どものT君はいつも一緒なのだ。
 ある時、Aさんから、おおよそ次のような電話をもらった。

 「Tは養護学校に行っている。でも、学校では毎日体の機能訓練だけ。一人で何もできないのだから、それが今もっとも大事だとは思う。そう思いながらも、それ以外のことだってTに必要なことがあるのではないかと教育のことは何も知らないくせに考え始めた。話すことはできなくても、自分を伝えたいのではないか。それができたらうれしいのではないか。そんなことを考えて、学校を週の半分を休んで、家で勉強をさせ始めた。「かな文字盤」を造ってそれを指さしで伝えさせるのだが、こんなことはどうなのか、いつか見てほしい。」

 私はさっそくAさん宅を訪ねた。
 ゴロンと横なっていたT君は、「T君、お勉強をはじめますよ」と声をかけられると、どこから力が湧いたのか、きちんと座ったのだ。Aさんからの文字盤を膝の上におく。文字盤は手製で、文字全体に手が届く大きさにつくられている。濁音、半濁音はなし。「”」「゜」の欄があり、「が」は「か」を指し「”」を指す約束。

 Aさんが「T君、昨日はどこに行ったの?」と問いかけると、T君は、「か」「”」「つ」「こ」「う」「に」「い」「き」「ま」「し」「た」と文字盤の文字を指でさしていく。それをAさんはノートに書き留めていく。

 そのようなことが30分近くつづいた後、Aさんが「T君、今日の勉強はおしまいにしようね」と言うと、それまできちんと座りつづけていたT君は、急に力が抜けたようにコロンと横になったのだ。

 私は、この最後のT君の様子には特に驚かされ、「学ぶ」ということは体の諸機能と全く別ではないのだと思ったことが、今も少しも薄れることなく残っている。この日、一番勉強させてもらったのは私だった。

 ちょうど同じころ、授業行脚をつづけられた林竹二先生に、須賀川養護学校に入ってのことをいろいろ伺ったことがある。先生は、「通俗的な教育観の持ち主であったら、こうはできなかったろう」と須賀川の仕事を語り、「生命への畏敬」ということを言われたことがあった。林先生は、それ以降、普通学校での授業は止められた。私は、(先生は田中正造になった)と思ったのだった。

 Aさんとはしばらく会うことがなかった。だからT君にもだ。
 いまT君はどうしているだろう。                                                        ( 春 )