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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

師走に思う

   今年のカレンダーも最後の1枚12月になってしまった。先月だけを振り返ってみても豊洲市場問題から始まって、アメリカの大統領選挙、福岡の道路の陥没、韓国の大統領問題、オリンピック会場問題と、テレビのニュースやワイドショーは、週毎にめまぐるしく動き回った。よくもこれほど次々にと、開いた口がふさがらない。
 アメリカの大統領選挙報道をみながら、書架にある「アメリカ」に関する本の中から、永井荷風の「あめりか物語」(岩波文庫)を改めて読み直した。100年以上も前に書かれたものだが、シカゴの街の早朝、出勤時間の地下鉄の風景を記した部分がある。

 車中には殆ど空椅子もないほど、男や女が乗り込んでいる。彼らはいずれも鋭い眼で、最短時間の中に、最多の事件の要領を知ろうという恐ろしい眼で、新聞を読みあさっている。(中略)国民は皆一刻も早く、一事でも多く、世界の事件を知ろうとするのだと・・・。ああ、しかし、世界の事件というものは、何の珍しい事、変わった事もなく、いつでも同じ紛紜(ごたごた)を繰り返してばかりではないか。外交問題といえばつまりは甲乙利益の衝突、戦争といえば、強いものの勝利、銀行の破産、選挙の魂胆、汽車の転覆、盗賊、人殺し、毎日毎日人生の出来事は何の変化もない単調極まるものである。 

 これを読み、つくづく100年後の今も、世界も日本も同じ風景なのに驚く。とは言っても、今では新聞にとって代わってスマホではあるが。荷風はまた別のところで人種問題にも触れている。

 一体黒奴(ニグロ)というものは、何故、白人種から軽侮、また嫌悪されるのであろう。その容貌が醜いから、黒いからであろうか。単に、50年前は奴隷であったというのに過ぬのであろうか。人種なるものは、一個の政治団体を作らぬ限りは、どうしても迫害を免れないのであろうか。永久に国家や軍隊の存在が必要なのであろうか・・・・・・。

 話は変わって、センターで毎月1回開いている哲学講座。11月はドイツ古典期における教育思想。そのテクストの中にあったヘーゲルの「ミネルヴァの梟(フクロウ)」が飛び込んできた。「ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つ」ということなのだが、哲学に疎い私には難しいことだらけだが、その意味するところはヘーゲルは以下のように説明している。

「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである。哲学は・・・現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。・・・個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」として、哲学は時代精神を、人が見ることが出来ないものを、過ぎ去ってから目に見えるように取りまとめたものだといっています。

 そこで再び最近の出来事を重ね読みをした。イギリスのEU離脱もアメリカのトランプ当選も、いずれは「ミネルヴァの梟」で、新しい運動が起こり、私たちの前に見えてくるのだろうか。ちょっと飛躍しすぎた文末になってしまったかも・・・。<仁>