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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

映画『リトル・ボーイ』 愛と勇気の物語のために吠えろ!

 以前に「つうしん」の原稿をお願いしていたこともある清眞人さん(元 近畿大学教授)が、教育科学研究会の機関誌『教育』12月号(特集は、「反知性」社会と教育)に、「学生の世界認識と歴史を生きる苦痛と希望」と題した論稿を寄せている。

 その冒頭で、少し前に私も観た映画『リトル・ボーイ』について触れている。そこで述べられていることは、先の木村草太さんの「おやじのせなか」にも相通じるものとも感じた。みなさんにも読んでいただければと思い、以下にその部分を掲載します。(キヨ)

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 映画『リトル・ボーイ』を見て

 この9月に私は映画『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』を見た。2014年製作。みずから脚本を書き、監督も務めるアレハンドロ・モンテヴェルデはまだ若い。40歳になるかならないかのメキシコ移民のアメリカ人。彼はこの映画のパンフレットの冒頭にこう書いている。この映画の脚本を書き始めたとき自分は「負け犬の話を書きたい」と思ったと。「10代の頃、下手な英語を話し、ハリウッドで映画を作ることを夢見るメキシコ移民だった僕にとって、この題材はずっと身近なものでした。僕は、小さな子どもの話を思いつきました。第2次大戦によって相棒 ー 正確にはたった1人の友だちである彼の父親 ー から引離された子どもの話です。小さな子どもの敵は、第2次大戦。まさに負け犬の話です」と。

 民衆は体制と歴史と運命の凶暴な力を前にしてつねに「負け犬」である。勝ちようがない。しかし、「負け犬」は吠えることを捨てないし、「負け犬」にはつねに切ない愛と勇気の物語が隠されている。「負け犬」が吠えることを捨てられないのはそれゆえだ。

 この映画のタイトルが「リトル・ボーイ」というのは、この主人公の子どもが成長ホルモン異常で身体の成長が停止した子どもだからだ。彼は周囲のあらゆる子どもから「こびと」と馬鹿にされ、彼にとっての唯一の友だちは、彼にあらゆることを可能にする魔術師ベン・イーグルのおとぎ話をしてくれ、暇をみてはたくさんの新鮮な風景のなかへ2人して遊びに行ってくれる「相棒」の父親だけだった。しかし、このタイトルには実は広島に投下された原爆に米軍がつけた「愛称」が「リトル・ボーイ」だったことが隠されている。父は徴兵されフィリピン戦線に投入される。実はこの映画の副主人公は、敵性外国人としての収容所送りは免れたにしろ、町中のほとんどのアメリカ人たちから「ジャップ」と罵られ、交際から排除されている日系アメリカ人ハシモトである。真珠湾で日本の戦闘機によって息子を失った登場人物の一人はハシモトを「敵」として憎む。だが、「負け犬」である孤独な少年は同じように孤独な「負け犬」であるハシモトとの友情をとおして自分のなかの切ない希望(=フィリピン戦線からの父親の生還)を、守り続けようとする。

 この映画には、このリトル・ボーイの「戦争」という「敵」への憎しみは、あのリトル・ボーイ(原爆)にすり替えられてはならない、というはっきりしたメッセージがある。彼も、彼の父も、ハシモトも、あの広島の日本人たちも、フィリピン戦線での日本兵も、すべての民衆は「第2次世界大戦」という巨大な真の「敵」に対しては「負け犬」であること、だが、その歴史を真に「負け犬」らしく生きよう! 吠え続けることを捨てるな! このメッセージがこもったメキシコ移民が創った映画、それがこの『リトル・ボーイ』である。 

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