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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

おやじのせなか、おやじの存在

 土曜の朝、新聞を読んでた我が家のよっちゃんが「これ、面白いよ」と切り抜きを寄こした。憲法学者の木村草太さんが「おやじのせなか」欄(11月11日付・朝日)に「ドン・ガバチョの歌『大事だ』」と題して、今は亡きお父さんのことを書いている。

 木村さんの父親は、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」が大好きで、番組の中で流れる「今日がダメなら明日(あした)にしまちょ 明日がダメなら明後日(あさって)にしまちょ」という「ドン・ガバチョの未来を信ずる歌」がお気に入りだったそうだ。ある時、一緒に見ているとその歌が流れ、「これはお前にとって大事だから覚えておけ」と言ったという。木村さんは、何を言いたいのかわからなかったが、昨年の安全保障関連法が成立するなか、偶然お子さんと見ていたテレビ番組でこの歌が流れて、その意味がわかったと記している。

 思い出せば、私にも同じようなことがあった。小さいころ刑事ドラマ「太陽にほえろ」をみながら「刑事ってかっこいいなあ、大きくなったら刑事になろうかな」となんとはなしに言ったら、「刑事になんかなるものじゃない」と、ぼそっと父に言われたことがあった。私の父もすでに他界しているが、木村さんと違うのは、未だに父親がなぜそんなことを突然口走ったのか、その真意はわからないままだということ。真意を知りたい気もしないではないのだが、どんな事が飛び出してくるか想像するに恐ろしく、わからないままでもいいか、と・・・。

 そんなことを思っていたら、よっちゃんが「これも読みな」と、切り抜きをひょいと持ってきた。何??と思いながら新聞を開くと、JA共済の全面広告に朝井リョウさんの「『おばあちゃんち』で叶う夢」と題する短いエッセイが載っていた。年老いていくおばあちゃんと朝井さんとのかかわりの移り変わりを通して、彼のおばあちゃんへの思いが綴られている。よっちゃんは、これを読んで切なくなったそうだ。

 ところが私の意識は、内容以前にタイトルの「おばあちゃんち」を見た途端、やっぱり「おじいちゃんち」ではないんだなあと、そちらに行ってしまった。是枝監督の映画『歩いても歩いても』のなかに、次のような場面がある。遊びに来た孫たちが「おばあちゃんち」「おばあちゃんち」と事あるごとに言うのを聞いて、おじいちゃんが(孫の親である)実の娘に「この家は俺が働いて建てたんだぞ。なのにお前、何でおばあちゃんちなんだ」と拗ねて言うのだ。浅井リョウさんも「おばあちゃんち」、私も「おばあちゃんち」。みなさんのところは、どうでしたか?

 詩人の吉野弘さんが『父』という題で、次のような詩を書いている。

    何故 生まれねばならなかったか。


    子供が それを父に問うことをせず
              ひとり耐えつづけている間
    父は きびしく無視されるだろう。
    そうして 父は
              耐えねばならないだろう。


              子供が 彼の生を引受けようと
              決意するときも なお
              父は やさしく避けられているだろう。
              父は そうして
              やさしさにも耐えねばならないだろう。

 

 父親という存在は案外やっかいで、ときに難しくときに理解されにくい存在なのかもしれません。でも冒頭の木村さんのみならず世の多くの息子・娘たちは、良くも悪くも父親の後ろ姿から何らかの生のかたちを、我にもあらず引き受けているのでは・・・ と思うのでした。(キヨ)