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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

9月20日

 先日、震災の後、戸倉小中学校が1年間過ごした元善王寺小学校に5年ぶりで行った。

 人声はまったく聞こえないが校舎は以前のまま変わるところなく、2階正面ベランダに位置する「花と緑と歌声のあふれる学校」のスローガンの緑色もまったく色あせることなく目にとびこんできた。

 校舎に近づくと、1階のすべての教室に、あふれんばかりに昔の民具が収納されていた。ここは農村なので、いくらでも集まるのだろう。

 大きな水瓶もいくつかあった。水瓶はすぐ私の子ども時代を思い出させた。水瓶は台所の流し場の横に位置していて、台所で使う水はその水瓶のものを使う。父が戦地に行き、7つ下の弟との3人暮らしの我が家では水汲みは私の仕事だった。幸い、北上川沿いにあるためか井戸はさほど深くはなかったが、ツルベで汲んで毎日水瓶をいっぱいにする。後でポンプになったときはどんなにうれしかったことか。

 でも、水瓶への水汲みはまだ楽だったが、たいへんだったのは風呂水だった。何回汲んでも水嵩が高くならないからだ。

 話がとぶが、仙台での学生時代、友人と岩切の農家に下宿したことがある。ここは風呂が毎日ではなかった。たまりかねて、友人と手ぬぐいを持って”汽車”で仙台駅近くの銭湯まで通ったこともあった。だんだんずうずうしくなると、風呂水を2人で汲んで入ったりするようにもなった。

 善王寺で目にした水瓶は、私を昔に回帰させてくれた。

 話はいきなりとんでしまうが「石牟礼道子歳時記」のこと。終章は「竈の火」。

 わたしの田舎でも気がつけば近頃お台所と云っているが、わが家ではいまだに釜屋という。『このごろの釜屋は煙の出らんけんあぶなかぞ』

 ガスコンロを互いにやりそこなうので母が自戒していうのである。食べごしらえのことも、料理と上等らしくいう。料理、といえば石油コンロかガスコンロの匂いに煮物の焦げる匂いのまざった、中味のわかりかねる〈料理〉への憧憬がある。

と始まって、

 いまは藁を田んぼで焚くとその野火のことを、朝晩洗剤を流している主婦たちが煙害というのだそうである。竈の火は女たちの感性の源であった。いまそれを彼女らは手元から失いつつあるように見える。陽の光のおおいなる輪廻の中に、その感性をほぐされつつあるのだろう。」

と結んである。

 石牟礼の気持ちが私にはちょっぴりわかるような気がする。「わかってなんだ」と言われると答えようはないが・・・。

 8月に、長く空き家にしていた田舎のわが家をとうとう解体した。あの水瓶は、残した倉庫にまだ座っている。( 春 )