20日前の朝日歌壇、永田和宏選第2首は、
問いにいつも答えがあって◯✕をつけてもらえた少年時代
詠み手は、水谷実穂さんという方。
歌を読んだ。辞めて20年も経つというのに、またまた数え切れない教室の様子が私におそいかかってきた。そして、しばらく私の中で渦をまきつづける。その渦の中には笑っている子もいるが、多くはそうではない。どうしようもなく棒立ちになっている私が必ず横にいる。いつまでもつづくのだろうと思う。
水谷さんは「◯✕をつけてもらえた」と過去を好意的に表現しているが、自分が教えておきながら✕をつけるというのは、そうそう楽なことではなかった。◯しかつけないこともあった。しかし、それで子どもが救われるかというと何も変わることはない。教師になった私は年を重ねるにつれてテストが嫌いになった。テストをしなくても子どもひとりひとりがつかめるようになりたいと思った。もちろん容易なことではないことは承知のうえで。
自分が我を張ると、同学年が困る。いつも悩ましいことだった。
若いとき読んだ国分一太郎の「新しい綴方教室」に次のようなことが書いてあった。
きのう私は、私の家のうらの、私の家の畑の、私の家の桃をとってたべました。
なんべんもくりかえす「私の家の」は、かんたんに、削りさってよい、よけいなコトバではないのである。このモモは、けっして、「よその家の畑の、よその家のモモ」ではないのである。まさしく「私の家のモモ」なのである。かつて、他人のものを盗み、ドロボウ気があると、うたがわれている菊地松次郎の、心理状態を知っている、細心な先生だけが、この綴り方の深い意味を知ることができる。そして、かんたんに、この「私の家の・・・」をけずりさることをしないだろう。
私は、この文を決して忘れないようにしようと思った。そして、「私の家の」を削らない教師になりたいと思った。そのためには、テストに頼り◯✕に平気になりたくないと思った。
撰者永田さんは「水谷さん、そう、答えのない問題に直面し始めてからが人生というもの。答えは誰も教えてくれない。」と評していた。水谷さんの意はそうなのだろう。私は勝手に消えない過去にむすびつけてしまったのだ。( 春 )