mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

おすすめ映画 『ボーダレス―ぼくの船の国境線』

 しばらく前ですが、「ボーダレス-ぼくの船の国境線」というイラン映画を観ました。

 イランというと核査察や、アメリカのブッシュ前大統領が北朝鮮イラクとともに悪の枢軸国の一つとしたことから物騒で危険な国というイメージがありますが、こと映画に関しては、多くの名作映画を輩出しています。例えば、この映画の監督アドバイザーを務めたアボルファズル・ジャリリ監督の『少年と砂漠のカフェ』や、アッパス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』、アミール・ナデリ監督の『駆ける少年』などなど。共通しているのは、どれも子どもが主人公ということ。なぜ、子どもを主人公に据えた名作がイランという国から生まれるのか?考えると、ちょっと不思議な気がします。

 映画の舞台は、国境沿いの立ち入り禁止区域の川に打ち棄てられている一艘の船。そこを根城に一人の少年が、魚や貝を糧にたくましく生活をしています。映画の冒頭「国境、侵入者には発砲する」という標識が写し出されるように、本来この地域は大変危険な地帯なのですが、一人暮らしの少年にとっては、船は唯一ホッとできる平和な場所なのです。ところがある日、国境の反対側から同い年ぐらいの少年兵(実は少女なのです)が乗り込んできて、甲板や船のあちこちにロープを張りめぐらし《こちらは、俺の縄張りだ》と、少年の平和な日々をかき乱します。さらに、のちにはアメリカ兵までが乗り込んできて・・・。ボーダレスの一艘の船に様々なボーダーが登場し、そのことをめぐって物語は進行していきます。映画は、今もなお紛争の絶えない中東の現実を描きつつも、そこで描かれている紛争がいつのものなのか、またどこの国とどこの国の争いや国境なのかなど描かれる世界の所在については多くを語りません。

 紛争続く中東にあって、あり得るはずのないユートピアとしての場所(船)を舞台に、ボーダーを引く闖入者が乗り込んでくることを通して「どこにもない場所」としてのユートピアが現実世界へと変貌しながら、その現実世界のなかで、改めてユートピアが問われるという、そんな映画です。

 仙台での上映はすでに終わってしまいましたが、そのうちDVDになるだろうと思います。ぜひ、その際にはご覧ください。お薦めです。(キヨ)

 

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