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mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記です。

3月25日

 20日は「道徳と教育を考える会」の例会だった。

 今回も前半は太田直道さんによる話し合いのための問題提起。この日は「戦後道徳教育」の第1回。

 その内容として使われた資料は以下になる。

1、「公民教育刷新委員会答申」「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」

  「米国教育使節団に協力すべき日本側教育委員会の報告書」

  『アメリカ教育使節団報告書』「教育刷新委員会総会/第一特別委員会発言」

  「新教育指針」「公民教育実施に関する件」「国民学校公民教師用書」

  「中等学校青年学校公民教師用書」「学習指導要領社会科編」

  「教育勅語等排除に関する決議」「国民道徳の退廃と其の再建」

  「教育勅語論議」

  「民主主義的新日本教育の理念」「社会科における徳育の問題」

2、「私はこう考える 教育勅語に代わるもの」「新しい道徳教育への道」

3、「戦後日本における教育勅語廃止論争についての一考察」

  「戦後における道徳教育」

 (「1」は1945年から1949年までのもの。「2」は1950年、「3」は2011年と2007年のもの。「1」「2」「3」の数字は私がつけたもの。)

 発言者として名前のあがっている学者は戦後教育出発時の中心になった人たちだが、総じて、戦前の教育勅語の呪縛からなかなか離れがたい発言をしているのに驚くと同時に、明治5年以来の日本の教育と日本人のもつ人間性について考えつづけた。

 優れた研究者で見識も並みはずれていたはずであったろう人たちが、敗戦によってもそれぞれの根底にもっていたはずのものが容易にはがれにくかったのをどう考えればいいのだろう。あらためて「教育の力」を考えざるをえないと思ったし、教科書問題でもみられるように、細部にまで立ち入ってくる検定制度、そして、教師の指導内容にまでうるさく入り込んでくる現状まで浮かんできた。

 道徳教育へのこだわりも、戦前の“成果”に自信をもっているのだろうか・・・。その

先もまた考えることは同じだということだということになるのか。( 春 )